シューベルトの宇宙【最終回】鳴らない弦──さすらいと日本をめぐる随想

シューベルトの宇宙【最終回】鳴らない弦──さすらいと日本をめぐる随想

2024.01.15 エッセイ 連載

この道はいつかきた道
ああ そうだよ
お母さまと馬車で行ったよ

どなたもご存じのメロディは、いっきょに追憶の世界をひらいてくれる。「この道」を包む空はどんな色だったろう? かたわらには何色の花が咲いていたっけ? 私たちそれぞれが心に抱く❝ふるさと❞の風景へ──。

詩人=北原白秋は、知らぬまに子どもが歌いだすような「透明さ」をいつも大切にした。白秋と意気投合したのは、西欧で学んだあと「我々自身の心を物語る」音楽を書こうと決めた山田耕筰。
ひるがえってみると、この歌が広まっていった1927(昭和2)年は大きな画期だったのだろう。4年前に起きた関東大震災からの「復興」によって近代都市が出現したことで、「おはようさん、寒いねぇ」といった“向こう三軒両隣”のコミュニケーションは失われていった【図1】。江戸文化の色濃い家庭で育ちながらも欧米の教養で武装し、まさにこの年に自死を選んだ芥川龍之介は象徴的だ。わずか35年の人生であった。

【図1】震災で焼失した浅草の凌雲閣は、雑多な町のシンボルでもあった。以後は「モガ」たちが銀座などで都市文化を形成していくようになる。 from WimimediaCommons

故郷をもとめて

失われたふるさとを、探しもとめよう──それは洋の東西を問わず共有される思いではなかろうか。シューベルトが好んだ夭逝ようせつの詩人もこんなことを書きつけていた。「哲学はそもそも郷愁(Heimweh)だ、どこにあっても家にあろうとする衝動だ」と(ノヴァーリス『一般準備稿』1798/99年)。この断章を好んだ20世紀の哲学者ハイデガーのひそみに倣うなら、「家にいられない=落ち着かない」──故郷ならざる=不気味な(un-heimlich)──感覚こそが、人を人たらしめるとすらいえるだろう。
「おまえはどこに、どこにあるのだ? わが愛しの国よ」。歌曲《さすらい人》(D489)に歌われるように、シューベルトも終生このモティーフに駆り立てられた。さすらいの音楽哲学が、しかし実人生とほとんど関係なく練られていったのはやっぱり不思議に感じられる。ボヘミアンな生き方を好んだにせよ、金銭的に困窮したことはなかったはずだし、最晩年に出会ったハインリヒ・ハイネが1840年代に直面する社会主義の問題も、1820年代ウィーンの芸術家にはまだ縁遠かった。

総じてシューベルトは、寅さんのように穏やかであったろう。遠くにありて故郷を思う“昭和の風来坊”は、旅先で人々をつなぐ架け橋となる。食も住もまわりが世話してくれる。財布が底をついたら、さくらが宿賃をはるばる熊本まで持ってきてくれたりもするのだ。そうして自分は「夏になったら鳴きながら、必ず帰ってくるつばくろ、、、、」を気どっている(第21作『寅次郎わが道をゆく』)。さくらのような存在に、シューベルトもこと欠かなかった。

断弦のとき

そんなことを思うのは、明治から昭和初期にかけて日本人が直面した「故郷喪失」感の強烈さゆえである。気ままな「つばくろ」とは違って、彼らは一階=日本文化のうえに、おおいそぎで二階=西洋文化を建て増しする芸当を強いられた。その土台を失うことは、だから生き方の崩壊をも意味したのだろう。芥川より少し前、ちょうど明治元年に生まれた北村透谷とうこくも、近代化のただなかを駆け抜けた【図2】。

【図2】 北村透谷と妻ミナ  提供:日本近代文学館

民権運動を退いてからは、その経験で出会った石坂ミナと恋に落ちる。彼女の影響でキリスト教の世界に身を浸しつつ筆をとり、25歳でみずから死を選んだ。22歳で草した『蓬莱ほうらい曲』(1891年、自費出版)は、タイトルのとおり東洋の意匠をまといつつも、西洋的なテーマで編まれた戯曲だ。ファウストやマンフレッドさながら、現世のどこにも「まことの安慰」を得られず、「おのれ」の不可解さに煩悶する主人公=素雄。唯一の慰めが音楽である。オルフェウスの竪琴にも似て、亡き恋人の声すら誘いだす力を秘めた「音」だった。

これなるかな、この琵琶よ/いつしも変わらぬわが友は/朽ち行き、すたれはつる味気あじき無き世に/ほろびの身、塵の身を、あはれと/に慰むるもの(…)わがたまの手をつくして奏でぬれば/忽如たちまち現世も真如しんにょのひかり!

やがて願いを聞きつけた大魔王が「むかしの家」を焼き尽くし、聖書のサタンさながらに誘惑してくるのだが、素雄はこれにもがえんじない。こうして「わが行きて住むべき家」をどこにも見いだせなくなった男に、音楽だけが寄り添った……という話であればよいのだが、なんと透谷はラストで主人公に琵琶をも投げ捨てさせるのだ。弦を断ち、哀しき音を立て、燃えさかる地上で砕ける楽器。そしてみずからも──。
なんと絶望的だろう、さすらい人を音楽ですら癒せないというのだから。似た比喩をのちに三島由紀夫が使っている。「何かが絶たれている。豊かな音色が溢れないのは、どこかで断弦の時があったからだ」(「文化防衛論」、1968年)。これは、日本の伝統を軽んじた戦後民主主義への批判の一節だから、ロマン派とはだいぶ離れた絶望感が、「断弦」には込められているのだろう。

新たな調弦を

“楽器の破壊”は、たしかに音楽では描きにくい。だが“うまく鳴らない弦楽器”はシューベルトにあって、数こそ少ないが印象的なテーマをなしている。《冬の旅》の終幕を思いだしていただきたい。おもむき深い楽器ライアーが〈人と獣〉の境をいろどっていた(☞本誌vol.202)。また歌曲《ギリシアの神々》(D677)では、ヴァイオリンを思わせるうつろ、、、な音型で「美しい世界」の喪失が嘆かれる。神々が人と交感をかさねた「調和」の古代はもう過ぎ去ってしまった……この詩を書いたシラーの認識が、くうにただよう弦の音と響きあう。
調和の喪失は、おもえば関東大震災の前後にも語られた。このときに出てきたのが、「美に対する信仰の(…)破壊」(横光利一)を前提にした新感覚派である。目に映るものをただの断片として描く文学だ。《ギリシアの神々》にも一脈つうじる潮流だろう。
シューベルトはしかし、この空虚なメロディを引用した《ロザムンデ四重奏曲》(D804)第3楽章のまんなかで、失われた美の世界を一瞬あざやかに蘇らせた。喪失は再生につながっている、といわんばかりに。
あるいはイアン・ボストリッジはかつて、《ギリシアの神々》のあとに《竪琴によせて》(D737)をつづけた。「英雄を歌おうとしても、この竪琴からはなぜか愛が流れ出てしまうんだ……」そうやって取り替えた新しい弦から、このディスクでは《湖にて》(D746)の爪弾きへとつながっていく。湖水で“天”が“地”と融合する、最高にロマンティックな世界だ【図3】。

【図3】 『シューベルト歌曲集Ⅱ』(2001)。歌手のつむぐ物語が、とりわけ魅力を放つ1枚だ。

無二の“ストーリーテラー”でもあるテノール歌手は、当ホールのリサイタルでも、先に触れた《さすらい人》をうけて《わがピアノに》(D342)や《リュートによせて》(D905)を歌ってくれる(2024年1月17日)。まさに“弦楽器に癒される旅人”のテーマそのものだが、ご本人は「そこはオープンにしておきたいのです」とのお答え。皆さんそれぞれにストーリーを見つけてください、と。

いまなお新たな“調弦”で紡がれてゆくシューベルト。令和の日本を生きるあなたは、そこに何を聴くだろうか?

ジュピター204号掲載記事(2024年1月11日発行)

プロフィール

住友生命いずみホール音楽アドバイザー

堀 朋平

住友生命いずみホール音楽アドバイザー。国立音楽大学ほか講師。東京大学大学院博 士後期課程修了。博士(文学)。近刊『わが友、シューベルト』(アルテスパブリッ シング、2023 年)。著書『〈フランツ・シューベルト〉の誕生――喪失と再生のオデ ュッセイ』(法政大学出版局、2016 年)、共著『バッハ キーワード事典』(春秋 社、2012 年)、訳書ヒンリヒセン『フランツ・シューベルト』(アルテスパブリッシ ング、2017 年)、共訳書バドゥーラ=スコダ『新版 モーツァルト――演奏法と解 釈』(音楽之友社、2016 年)、ボンズ『ベートーヴェン症候群』(春秋社、2022 年)など。

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