イアン・ボストリッジ(テノール) インタビュー<br>「もうひとつの冬の旅」へ

イアン・ボストリッジ(テノール) インタビュー
「もうひとつの冬の旅」へ

2023.09.29 インタビュー シューベルト 堀 朋平

イギリスのテノール歌手、イアン・ボストリッジは、聴衆を魅了する知的で繊細な歌声の持ち主。歴史学の博士号を持ち、シューベルトの「冬の旅」をテーマにした著作を発表するなど、理論と実践を兼ね備えたアーティストです。住友生命いずみホールには20年ぶりの出演です。今回、出演を熱望していた堀音楽アドバイザーによるメール・インタビューが実現しました。シューベルト・シリーズのために特別に組まれたプログラムに潜むドラマを巡る、刺激的な対話です。

広がりを見せる近年の活動

堀(以下H):こうしてご一緒できることを心から光栄に思います。さっそくですが、この3年間は世界中のアーティストにとって大きな試練でした。コロナ禍にあって、コンディションを維持するために気を付けてきたことはありますか?

ボストリッジ(以下B):パンデミックは、自分を見つめなおす機会でした。とくに、"歌うことと自分であること"をめぐって書いた講演集がイギリスとアメリカで出版されました。来日にあわせて日本でも翻訳が出版される予定です。〈図1〉あと、新しい先生と仕事をするチャンスがあり、歌のテクニカルな部分でのアプローチがかなり変わりました。

〈図1〉
『歌と自己——音楽と演奏をめぐる、
ある歌手の内省』(原題)
Song & Self A Singer’s Reflections
on Music and Performance
The University of Chicago Press

H:ご著書の邦訳は『冬の旅』から7年ごしですね。そのシューベルトをめぐって、ジュリアス・ドレイクさんの色彩的でやわらかな音色は、あなたの声と驚くほど波長が合っているように思います。おふたりはどれくらい密に音楽をともにされてこられたのでしょうか?

B:新しいプログラムに取り組むときは、リハーサルをたくさんします。一緒にいると愉しい相手なのです。住まいも近所で、家族どうしも仲良しですから。慣れたプログラムでは即興性をだいじにします。どの演奏も毎回ちがっているからこそ、かけがえのないものになる。互いを熟知しているゆえに可能なことだと思っています。

H:フランス歌曲とシューベルトを組み合わせた無観客ライブ配信(ウィグモアホール、2021年)でも、おふたりは兄弟のように見える瞬間がありました。抒情性の深層でだいじな瞬間をグロテスクにえぐり出すあなたのスタイルは、デビューから30年を経ていっそう深まったようにもお見受けします。亡きラルス・フォークトと録音した直近の《白鳥の歌》〈図2〉には表現主義のすごみも感じました。この深化は何に由来するのでしょう?

B:ひとえに、ひとりのアーティストとしての探求によるのでしょう。シューベルトの音楽は深く、汲みつくしがたいほど魅力的ですから、そのつど新たなアプローチが見つかります。思うに「表現主義」とは、音楽と言葉のきわめて細かい部分に目をむけて歌いつつも、統一性とすぐれた歌唱の基礎、つまりレガートへの関心をいつも失わないことです。真のレガートとは、言葉をはっきりさせないことではありません。"息"──これは生命です──は、ドイツ語のたくさんの無声子音(t、cなど)をとおります。これに対して有声子音(v、m、nなど)をとおるのが"音"。そのなかで呼吸なき子音が、音に抑揚をあたえるポイントとなるわけです。ともかくレガート、レガート、レガート!

〈図2〉
歌曲集『白鳥の歌』D957 他
イアン・ボストリッジ(テノール)
ラルス・フォークト(ピアノ)
Pentatone Classics PTC5186786

H:なるほど。そのように要約されると、表現主義は広くあなたのキーワードになりうると気づかされます。後期ロマン派のH・ヴォルフや20世紀のH・W・ヘンツェ、さらには近年のジャズ・セッションも含めて!〈図3〉とりわけ《冬の旅》では、自然の美しさをむしろアイロニカルに嘲笑う傾向も感じますが?

B:私の声がヴェルディやプッチーニ(彼らも大好きですが)の響きとかけ離れたものだとしても、冷たい歌い方はしたくありません。"肉感"と"アイロニー"のあいだの、ほんとうの意味でのロマンティックな揺れ動きを見つけたいと願っています。そこに、リートの伝統の特徴があるのです。

〈図3〉
The Folly of Desire
イアン・ボストリッジ(テノール)
ブラッド・メルドー(ピアノ)
Pentatone Classics PTC5187035

新たな連作歌曲集にみるストーリー

H:いよいよ今回のプログラムについてお伺いします。あえて三大歌曲集ではなく、珠玉の歌曲たちによって「憧れ・自然・神話」を自由にめぐってください、という当ホールのリクエストに、あなたはすばらしいプログラムで応じてくださいました。もうひとつの《冬の旅》とも呼べる、あなただけの"連作歌曲"。ウィグモアホールでもすでに披露されていますが、これはどのように着想されたのでしょう? ここにはどんな"物語"が語られているのでしょうか?

B:これまでのツアー生活で、今回のようなオール・シューベルトのプログラムを──まさに三大歌曲集と比肩し、これに挑むようなものを──五つ六つ練りあげてきました。感情をめぐるひとつの物語をつくりたかったからですが、それは必ずしもあからさまな物語ではありません。《冬の旅》がそうであったように、わかりやすい物語をくつがえしながら、でも"感情の旅路"をあらたに描き出す──そこに聴き手ひとりひとりが自分を重ね、それぞれに意味を見つけてほしいのです。あと、プログラムを作る楽しみは、親しまれている曲と知られざる至宝を、なるほどと思わせるやり方で結びつけることですね。

H:ひとつひとつの曲が高めあう、比類ない"物語"になっていると思います。あなたの言われる「知られざる至宝」と「親しまれている曲」のいちばん感動的な出会いが、後半のクライマックスではないでしょうか。最大の親友マイアホーファーの詩による《友たちへ》(D654)がひっそり変格終止する。と、すぐに同じ調で、よく知られた《緑のなかの歌》(D917)がいわばフェイド・インすることで、「友情に包まれた死」のコンセプトが浮かびあがる。緑のなかであなたが追いかける「少年Knabe」は、安らかな死へとさそう神=タナトスに思えてくるのですが、深読みしすぎでしょうか?

B:あなたの解釈はどれもきわめて繊細ですが、そこはあえてオープンにしておきたいのです。でも友情をめぐる二作を並べるアイディアは当初からありました。《緑の歌》はまさに、歌っていてそんな快楽をおぼえる曲です。特別なものたちが合わさって生まれる統一性であり、繰り返しに酔いしれることであり、人生の終わりに直面した時に感じる喜びであり……。

H:《冬の旅》の主人公が辿りつけなかった境地ですね。それまでの旅の意味を一挙に解き明かす説得力があります。今回の"連作歌曲"では曲どうしをつなげるための移調など、こまやかな配慮もたくさん見られます。そういえばあなたは、原調からよくキーを2度上げますし、下げることもありますね?

B:シュヴァルツコップフ〔ソプラノ歌手、1915~2006〕もそうでしたが、ちょっと下に移調すると歌いやすくなることがあるのです。じっさい1828年ころのウィーンでは、ピッチはいくぶん低かったでしょう。あなたの言うとおり、調をどう並べるかは重要ですが──けっこうたまたまなんですよ!いったんその調にしてみたらしっくりきて、もう変えたくなくなる、という感じ。

H:とても貴重な情報です(笑)。あなたは膨大な知でもって音楽を語る点でも偉大ですが、特に今回のプログラムは、聴くだけでシューベルトの美学を心から感得できるのが不思議です。音楽の楽しみと知識について、最後にお考えを聞かせてください。

B:たしかに知識はいつも必要というわけではありませんが、好みや性格によっては入り口にもなりえるでしょう。今回の曲たちはとても"奥深い"ので、じつにさまざまなやり方で体験することができます。でもそれだけでなく、過去にひろがる感情の宇宙へとつづく──奇跡のような──"窓"をうがってもくれるのです。すばらしい質問をありがとうございました!

H:その意味で、新しいご著書も楽しみです。ほんとうにありがとうございました。当日を楽しみにしています!!

ジュピター202号掲載記事(2023年9月13日発行)

プロフィール

イアン・ボストリッジ

ザルツブルク、エディンバラ等の主要音楽祭や、ウィーン・コンツェルトハウス、カーネギー・ホール、アムステルダム・コンセルトヘボウ、ウィグモア・ホール等に、オペラではウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ベルリン・ドイツ・オペラ、ミラノ・スカラ座等に登場。 オックスフォード大学で歴史学の博士課程修了&名誉学士、セント・アンドリュース大学の名誉音楽博士。2004年CBE勲章を受勲。著書『シューベルトの「冬の旅」』でダフ・クーパー賞を受賞。

プロフィール

住友生命いずみホール音楽アドバイザー

堀 朋平

住友生命いずみホール音楽アドバイザー。国立音楽大学・九州大学ほか講師。東京大学大学院博 士後期課程修了。博士(文学)。近刊『わが友、シューベルト』(アルテスパブリッ シング、2023 年)。著書『〈フランツ・シューベルト〉の誕生――喪失と再生のオデ ュッセイ』(法政大学出版局、2016 年)、共著『バッハ キーワード事典』(春秋 社、2012 年)、訳書ヒンリヒセン『フランツ・シューベルト』(アルテスパブリッシ ング、2017 年)、共訳書バドゥーラ=スコダ『新版 モーツァルト――演奏法と解 釈』(音楽之友社、2016 年)、ボンズ『ベートーヴェン症候群』(春秋社、2022 年)など。

公式twitter
関連公演情報
シューベルト──約束の地へ
Vol.5 いつまでも伝わるもの──自然、神話、そして心
2024年1月17日(水)
開場18:30
開演19:00

【出演者】
イアン・ボストリッジ(テノール)
ジュリアス・ドレイク(ピアノ)

【演奏曲目】
郷愁 D456/あこがれ D879/戸外にて D880/あなたと二人きりでいると D866-2/さすらい人が月によせて D870/臨終を告げる鐘 D871/真珠D466/みずからの意志で沈む D700/怒れるディアナに D707/とららわれた狩人の歌 D843/ノーマンの歌 D846/さすらい人D493/ヒッポリートの歌 D890/リュートによせて D905/わがピアノに D342/小川のほとりの若者 D300/オオカミくんが釣りをする D525/眠りの歌 D527/友たちへ D654/緑のなかの歌 D917/孤独な男 D800/夕映えのなかで D799

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