
一瞬の響きに生きる ジャン=ギアン・ケラス(チェロ)
『バッハ:無伴奏チェロ組曲』を語る
2025.05.23 インタビュー
ソロと室内楽、同時代の音楽と古典作品、モダン楽器とピリオド楽器、多彩なフィールドを自在に往き来し、鮮烈な快演を重ねて、世界中の聴衆を虜にする“いま最も熱いチェリスト”、ジャン=ギアン・ケラス。9月に住友生命いずみホールへ降り立ち、バッハの「無伴奏チェロ組曲」全6曲を披露する。数限りなく「私たちチェリストが生涯を共にする作品」へ対峙して来てなお、「新たな経験は、演奏に影響を及ぼす。私の無伴奏は、必ずや変化してゆくはず」と断言。そんな名匠が紡ぐ“一期一会の音楽”を、ぜひ体感したい。
ケラスが見つめる無伴奏の本質
「バッハの妻アンナ・マグダレーナが、筆写譜の表紙に書き入れた(=Senza Basso通奏低音なし)ように、チェロ独奏のための組曲は、最も重要な要素を欠いています。しかし、だからこそ、私たちに信じられぬほどの深みを与えてくれる。なぜなら、驚くべき音楽を創造し、その下からセーフティネットとなる枠組みを取り去ってしまったのですから。我々は飛翔し、繋がらなければなりません」。ケラスは「無伴奏チェロ組曲」という作品の位置づけについて、こう切り出した。
「私たちがなぜ、音楽を演奏し、聴き続けるのか。それは音楽が私たちの内面にある、満たされない部分と繋がっているからです。それと同時に、超越することとも繋がらなければ。ベンジャミン・ブリテンが良い例を示唆しています。『私たちは自分が生まれる前のこと、その過程に何があったか、と常に繋がっている』と…。特にバッハの無伴奏組曲は、通奏低音を伴わないソロ楽器のための作品に至る“道”。堅実な世界を超えた、どこか“霊的な何か”へとアクセスさせてくれるのです」。
即興性とバッハ音楽の核心
2023年10月、16年ぶりとなるバッハの『無伴奏チェロ組曲』の再録音に踏み切った。しなやかな秀演だった旧録音に比しても、いっそう強く感じ取れるのは、作為を感じさせぬ自然さと、湧き上がって来るような躍動感と喜び。そして、深い精神性…。その裏付けとなっているのが、自在な即興性だ。
この点について、「音楽が自由である瞬間を、音楽自体の中に見つけることが、何よりも重要」と言い切る。「バロック音楽を特徴づけるものは、まさに即興性です。ラファエル・アンベール※1や、ソクラティス・シノプロス※2とのコラボレートは、17世紀の即興音楽を彷彿させました。全ての音楽は即興性を持ち併せます。バッハも、それ以前の音楽も、その一瞬一瞬の間に心の底から湧き出て来るもので、即興的に響きの空間を埋めてゆくという存在だったのです」。
そして、さらに言葉を重ねる。「無伴奏組曲には、(暗示された)低音声部のリズムという枠組みがありますが、それは本来の舞踊のためのステップではなく、音楽の本質を探るためだけに存在している。この非常に哲学的で超越的な音楽自体が大きな意味を持つが故に、もはや骨組みを指し示す必要がなくなったからです。だから、この音楽に本質的に何が包含されているのか、奏者自身が見定めなければなりません。そうしてこそ、“音符と音符の間にあるもの”に耳を澄ますことが出来るのです」。
響きと沈黙のあいだで
実は、今回の無伴奏組曲の新録音には、『我ら人生のただ中にあって』と題された映像作品のDVDが同梱されている。ケラスが弾く「無伴奏チェロ組曲」と、ベルギー出身の振付師でダンサーのアンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル率いる舞踊集団「ローザスRosas」とのコラボレートを収録したものだ。
2022年までに100公演以上を重ねたこのパフォーマンスについて、ケラスは「(一人で弾く)無伴奏組曲を、室内楽のような体験へと変換させてくれる存在」と評する。「ダンサーと共演すると、彼らのエネルギーが、必然的に自分のプレーへ強い影響を与えます。我々が何年も続けてきたのは、バッハの音楽言語における通奏低音が、(舞曲の集合体である)この組曲で、ダンサーのステップとどう関連付けられているか、掘り下げる事でした」。
組曲第3番のアルマンドは、特に衝撃的。突然に「無音」の世界が訪れるのだ。しかし、ダンサーは踊りを止めることなく、音楽自体は“継続”してゆく。
「あの時の私たちは、沈黙を必要としました。6つの組曲を1つの大きな組曲として組み立ててゆく過程で、その事に気づいたのです。音楽は“瞬間ごと”にやって来ます。観ている人の頭の中で、踊り手と音楽とのバーチャル(仮想的)な繋がりを継続させねばならない瞬間を作りたかった」。それは、この映像の収録と1年半を隔てて行われたスタジオ録音が、彼自身の言う「全く違った(=Indicative)」ものとなった理由でもある。
バッハとの対話──自由の余地を追究する
「無伴奏チェロ組曲」には、バッハによる自筆譜が現存しない。このため、現代において、この作品の“一次史料的”な役割を果たしているのは、アンナ・マグダレーナや弟子のヨハン・ペーター・ケルナーによる筆写譜。演奏実践にあたっては、このいずれかを参照するチェリストが多い。しかし、ケラスは特にボウイングなど、これらの史料にこだわり過ぎることなく、自在な取り組みを行っている。
その理由について、「これらが実質的に“二次史料”であるだけでなく、彼女の夫ほど、アンナは弦楽器に精通してはいませんでしたから…」と前置いた上で、「何より、バロックの伝統に立ち戻らなければ。それは言わば、“自由の余地”です。バロック時代には、(即興が大前提だった)通奏低音はもちろん、各声部においても、奏者は自由でした。ボウイングも、装飾音も、音の出し方ひとつをとっても、音楽のほんの一部に過ぎません」と力を込める。
「彼らは日によって装飾音も変えたし、リピートがあれば別の方法で奏して…同じ事を二度と繰り返さなかった。だから、私が目指すのは“正確性からの離脱”だとも言えましょう。何より、バッハ自身が『こうするべき』などと決め付けなかったはず。和声や通奏低音は、屋根や壁のようなもの。ボウイングは、家具です。何が一番大切でしょう? 家具は重要ですが、気分によって、入れ替えてもいいし、同じものを使い続けてもいいですよね」
そのボウイングを司る右手の動きに関しては、決して直線的な「押し引き」ではなく、「弧を描くボウイング」の重要性を力説する。それは、まさに音楽演奏の本質を突いている。「シャーンドル・ヴェーグ※3が主張していたことですが、右手の動きとは、まさに弧です。しかし、現代ではしばしば、直線のように定義してしまう。音楽は、バッハにおいて時にそうであるように巨大である一方、人間性の全てを示している。呼吸し、魂を表現し、四角四面で箱に収納できるものではありません」。
音楽と共に歩む──その手にストラディヴァリウスを
昨年、長年の愛器だった1696年製ジョフレド・カッパから、1706年頃に製作されたストラディヴァリウス[Kaiser]を新たな相棒に迎えたばかり。「今まさに、新しい関係性を築くため、『君って、どんな感じ?』と、お互いを知ろうとしている真っ最中(笑) でも、既に魅了されていて、新たな色彩も見つかりそうだし、この新たな関係を愉しんでいますよ。ストラドのチェロ自体が稀少なので、私は恵まれていますね」。
チェロを始めたのは、5歳の頃。兄のヴァイオリンの発表会で、13歳のチェリストが弾いたサン=サーンスの協奏曲に魅了されたのがきっかけだったという。「今でも、よく覚えていますよ。何が気に入ったかって? 抱き締められるサイズ感が良かったのか(笑)…(楽器をハグする仕草をして)何か、幸せな感じがするでしょ? それに、低音が震えるのを感じるのも…」。
バッハの「無伴奏組曲」を初めて聴いたのは、パブロ・カザルスのレコードだったと言う。「カザルスの全ての録音がそうであったように、音楽を紡ぐことではなく、人間性を形作ってゆくかのように感じられました」。そして、直後に触れたのが、バロックチェロの先駆者アンナー・ビルスマの演奏。「こちらはスピリットがあり、とても自由で、エネルギーに満ちていました。どこか親友のようでいて、『さあ、一緒に愉しもうよ』って感じかな(笑)」。
ニューヨークのジュリアード音楽院で学んでいた20代の頃、悩みを抱えていた時期があった、と吐露する。「音楽家としての自分を心の底から探し求めて、時に深遠な思考や深刻な疑問に沈んでしまうことも…。酷いホームシックにもかかってしまいました。当時はSNSもなく、長い時間をかけて国際電話を繋ごうとしても、なかなか両親とは話せなかったから…ちょうど1世紀前に同じ街に居た、ドヴォルザークと似た状態だったかもしれません」。
しかし、そんな時に心の支えとなったのも、音楽だった。「音楽が私を助けてくれた瞬間もあったし、音楽が“自分を繋いで”くれたのです。特に、ベートーヴェンのラズモフスキー第2番。楽聖が創造した、どこか普遍的な世界とアクセスできて、『独りじゃない』と実感できました。そして、バッハの無伴奏チェロ組曲第5番ですね。この曲はエキサイティングで、その興奮が沸点に達するかと思えば、次の瞬間にはイエス・キリストと繋がり、世界全体が銀河となる安らかな場面も…この曲が孕む、動揺と曲折に親近感を覚えました」。
変化し続ける演奏。そして、戦争と困難の時代における音楽の力
バロックから現代まで、幅広いレパートリーを手掛けるケラス。バッハの作品を演奏する際、それ以降の時代の音楽を知っていることは、“アドヴァンテージ”になり得るのだろうか。「そうは思いません。でも、どんな解釈者であれ、我々が今ここに生き、同時代の作曲家や作品に触れていることが重要です。それこそが、自分を自分たらしめている、音楽家としての一部分。だから、バッハをどう演奏するかということに影響を及ぼしているし、彼の言語と今の音楽の現代性をどう結びつけるかを考えるのが好きなんです」。
彼の「無伴奏組曲」は、これからも変化を続けてゆくのだろうか。「ええ。間違いなく…。新たな体験をするからです。昨年8月、私はウクライナのキーウに向かいました。兵士や、親を無くした子供たちを前に、組曲第2番を弾いている間、一人一人の事に思いが及びました、そして同時に、全世界で亡くなった若者たちのために演奏している、とも考えたのです。この経験は、私自身に強い影響を与えました。9月に大阪で弾くまでにも、必ず、また別の経験もするでしょう…」。
あなたにとって、音楽とは? 「芸術のひとつの形態です。そして、芸術とは、戦争を引き起こす側面と相反する、人間という種族の美しい姿を形作るものです。我々は芸術によって、いかに今の難局を乗り越えてゆくのか…音楽は非常に、特別な立場にあります。なぜなら、音とは本来、一瞬にして生まれては消え、その瞬間でしか存在し得ない、とても稀有なものだからです。そして、我々は皆、音楽を分かち合うとき、大切なものを取り戻せると知っている。それこそが、音楽という存在なのです」。
※1 フランスのジャズ・サックス奏者
※2 ギリシャの民俗弦楽器リラの奏者
※3 20世紀の偉大なヴァイオリニストの1人。ハンガリー出身で、1953年にフランス国籍を取得。ザルツブルクのモーツァルテウム音楽院の教授として多くの後進を育てる一方、指揮者としても活躍した。1997年没。
通訳:小松みゆき
ジュピター212号掲載記事(2025年5月15日発行)※掲載記事に一部加筆、修正を加えています。
プロフィール
Jean-Guihen Queyras
ジャン=ギアン・ケラス
モントリオール生まれ。リヨン国立高等音楽院、フライブルク音楽大学、ジュリアード音楽院でチェロを学ぶ。1990年より2001年までアンサンブル・アンテルコンタンポランのソロ・チェロ奏者を務め、02年にはグレン・グールド賞を受賞したブーレーズの選考により、傑出して有望な若手芸術家に対して贈られるグレン・グールド・プロテジェ賞を受賞。レパートリーはバロックから現代まで多岐にわたり、ウィーン楽友協会、コンセルトヘボウ、ウィグモアホール、カーネギーホール等、世界の著名コンサートホールの多くでリサイタルを行っている。使用楽器は1706年頃製作のストラディヴァリウス“Kaiser”(カナダCanimex Inc.より貸与)。ドイツ・フライブルク音楽大学教授。
プロフィール
Hajime Teranishi
寺西 肇
神戸市出身。音楽ジャーナリストとして、「音楽の友」「レコード藝術」ほか各誌に執筆。2005年5月、バッハアルヒーフ・ライプツィヒで「バッハと偽作」をテーマにパフォーマンスを行うなど、バロックヴァイオリン奏者としてのステージ経験もある。著書に「古楽再入門」、訳書にヤープ・シュレーダー著「バッハ 無伴奏ヴァイオリン作品を弾く~バロック奏法の視点から」(いずれも春秋社)など。
関連公演情報
- バッハ2025 綾なす調和
- Vol.1 「線と無限」
2025年9/25(木)19:00、26(金)19:00
【出演】ジャン=ギアン・ケラス(チェロ)
【曲目】
〈9/25第一夜〉
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲
第1番 ト長調 BWV1007
第4番 変ホ長調 BWV1010
第5番 ハ短調 BWV1011
〈9/26第二夜〉
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲
第2番 ニ短調 BWV1008
第3番 ハ長調 BWV1009
第6番 ニ長調 BWV1012
【料金】
各日:一般 ¥6,000
フレンズ ¥5,400
U‐30 ¥2,000
vol.01 二夜セット券:一般 ¥10,000
フレンズ ¥9,000
【発売日】
単独券、二夜セット券
フレンズ 5/30(金)
一般6/6(金)
公演情報はこちら
バッハ2025 綾なす調和 6公演セット券+レクチャー(限定数)
一般 ¥35,000 フレンズ ¥30,000
【発売中】
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