シューベルトの宇宙【第10回】ハーディ・ガーディが連想させるもの  ──《冬の旅》第24曲〈辻音楽師 Der Leiermann〉

シューベルトの宇宙【第10回】ハーディ・ガーディが連想させるもの ──《冬の旅》第24曲〈辻音楽師 Der Leiermann〉

2023.09.22 シューベルトの宇宙 連載 シューベルト

辻音楽師とハーディ・ガーディ

シューベルト晩年の連作歌曲集《冬の旅》。彷徨い続ける若者は、失恋の旅路の果てに一人の辻音楽師と出会う。

向こうの村はずれに
ハーディ・ガーディ弾きがいて
かじかんだ指で
力の限り回している
[……]
不思議なご老人
一緒に行ってもよいですか
僕の詩に合わせてハーディ・ガーディを回してくれますか
(第24曲〈辻音楽師〉第1節と第5節)

(図1) 盲目のハーディ・ガーディ奏者
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第24曲目〈辻音楽師〉で登場する老人が手にしているハーディ・ガーディは、フランスではヴィエル・ア・ルウ(以下、「ヴィエル」)、ドイツ語圏ではドレーライアー(以下、「ライアー」)と呼ばれる楽器である。その起源は中世までさかのぼり、演奏された時代や地域によって、さまざまな身分の人びとに演奏されてきた。なかでも、この楽器が物乞いに演奏されたという歴史的事実は、《冬の旅》の主題である「放浪」や「社会からの疎外」といった側面を強調するものであった。聴き手は、ラ・トゥールが描いた作品(図1)のような楽師像を連想してきたのである。
ところが、イギリスのテノール歌手イアン・ボストリッジは、新たな解釈の可能性を示している。《冬の旅》の原作となった詩集『冬の旅』の作者ミュラーが意図したのは、上述のようなハーディ・ガーディの側面というよりも、18世紀から19世紀にかけてフランスでこの楽器の地位が転落した様だったのではないかと彼は推測しているのだ。

[……]バグパイプが、フランス宮廷で流行ったきまぐれな牧歌ふう余興に現れるようになり、同じような経緯でハーディ=ガーディ[……]もみられるようになった[……]。18世紀が終わるのを待たずして、ハーディ=ガーディとバグパイプ、またはヴィエルとミュゼットは、またかつての香しくない環境へと出戻ってしまった。ミュラーが利用したのはまさにそのような連想[……]である。
(ボストリッジ 2017, 396–397)

フランス宮廷におけるハーディ・ガーディの演奏

ここで、ハーディ・ガーディの歴史を簡単に確認しておきたい。17世紀頃まで、この楽器は身分の低い者が演奏するものと見做されていたが、フランス宮廷の牧歌的趣味の影響を受けて、18世紀頃からは次第に王侯貴族にも演奏されるようになっていった。たとえば、ルイ15世の妃マリー・レクザンスカによる演奏記録のほか、貴族の女性がこの楽器を演奏する様子を描いた絵画も数多く残されている。
17世紀頃まで農民や物乞いに演奏されてきたこの楽器で宮廷音楽を演奏するには、大幅な楽器改良が必須であった。事実、この楽器が宮廷で演奏されるほかの楽器と同等の音域や表現力を獲得するための工夫が施されたことで、ようやく宮廷の楽器と認められるようになったことが当時の記録から明らかである。(Anon 1750;Terrasson 1768)また、18世紀のパリでは、この楽器で演奏できる音楽作品が234作品出版された(Green 2016,66―88)。18世紀フランスにおいてハーディ・ガーディはいわゆる黄金期を迎えたといってよいだろう。
ところが、ハーディ・ガーディを愛好していた王侯貴族の地位が革命に伴う貴族制度の凋落によって失われはじめると、19世紀に入る頃には、この楽器はふたたび「かつての香しくない環境へと出戻って」しまったのだった。

ドイツ語圏の民俗的なハーディ・ガーディ

一方、ドイツ語圏においてハーディ・ガーディは依然として身分の低い者の楽器と見做され続けていた。この頃のドイツ語圏には、あらゆる階層のものを上から順に並べて一覧に整理する習慣が存在したのだが(ラヴジョイ 2013, 283)、たとえばこれを1720年頃にヴァイゲルが制作した版画集Musicalisches Theatrumと照らし合わせてみると、非常に興味深い示唆が得られる。というのも、ヴァイゲルはこの版画集で35人の音楽家を順番に描いているが、ハーディ・ガーディ奏者が登場するのは最後なのである。つまりここから、この楽器ないしその奏者の地位が、ほかのあらゆる楽器よりも低かったことが読み取れるのだ。
また、18世紀にドイツ語圏で製作されたハーディ・ガーディを見てみると、演奏性能を向上させようとした形跡はほとんど認められない。鍵盤の数や配列、旋律弦の調律に鑑みると、演奏中に登場する臨時記号の演奏は不可能だったと考えられる。臨時記号が登場しない―全音階で構成された―旋律は、ドイツ語圏の民俗音楽の特徴の一つであったことをふまえると(Schepping 2001)、この地域において、ハーディ・ガーディは、あくまで民俗楽器と見做されていたと考えるべきであろう。

ハーディ・ガーディが連想させるもの

このように、18世紀以降のフランスとドイツ語圏には、歴史的文脈も楽器構造も異なるハーディ・ガーディが存在した。《冬の旅》のような、ハーディ・ガーディを模倣する―この楽器の音楽的特徴をほかの楽器で表現する―音楽作品は、たとえばテレマンやクープラン、ラモーなどによっても作曲されているが、作曲家たちがいったいハーディ・ガーディに何を見出し、いかなる意図でこの楽器をモティーフに起用したのかは定かではない。
シューベルトの友人シュパウンの回想に、〈辻音楽師〉に関する次のような記述がある。

次のシーンはどこかの居酒屋でおこった。そこには又もや退院してきたシューベルトがいる。だいぶよくなった、ありがとう、と彼はシュパウンにいう。しかし、相変わらず不眠とめまいに苦しんでいる。それにもかかわらず、彼は新しい連作を書いていたのだ。「題は?」「『冬の旅』」。こういって彼は出て行った。窓ガラス越しにシュパウンは彼が遠ざかって行くのを見た。大雪の夜がやってきた。街角では、一人の貧しい男がかじかんだ指でかき鳴らす手回し琴(ライアー)の音が聞こえていた。この男の悲痛な歌をシューベルトが書くのは、8か月ないし10か月後のことである[……]。 (Bruyr 1965, 57; ブリュイール 1971, 69–70)

ここからは、彼らが実際に貧しい男を目にしたのか、それともハーディ・ガーディの音色から男の素性を連想したのかを読み取ることはできない。そして、男が手にしていた楽器がどんなものだったのかも、今となっては知る由もない。《冬の旅》の世界観は果てしなく広がってゆくばかりなのである。

【参考文献】
Anon. 1750 (Septembre) « Trois touches augmentées à la vielle, & une autre changée de place. » Mercure de France. pp. 153-155. Paris: Bibliothèque Nationale de France.
Bruyr, José. 1965. Franz Schubert : l’homme et son œuvre. Paris : Segers.[ブリュイール、ジョゼ 1971 『シューベルト』 島田尚一(訳) 東京:音楽之友社]
Green, Robert A. 2016. Hurdy-gurdy in eighteenth-century France. 2nd ed. USA: Indiana University Press.
Terrasson, Antoine. 1768. « Dissertation historique sur la vielle. » 2nd ed. Mélanges d’histoire, de littéraure, de jurisprudence. Paris. ボストリッジ、イアン 2017 『シューベルトの「冬の旅」』 岡本時子、岡本順治(訳) 東京:アルテスパブリッシング
ラヴジョイ、アーサー O. 2013『存在の大いなる連鎖』 内藤健二(訳) 東京:ちくま学芸文庫

【ウェブサイト】
Schepping, Wilhelm. 2001. “Germany, Federal Republic of (Ger. Deutschland): 3. History of ‘folk music’.” In Grove Music Online. http://doi.org/10.1093/gmo/9781561592630.article.40055

ジュピター202号掲載記事(2023年9月13日発行)

プロフィール

音楽学

木村 遥

関西学院大学大学院文学研究科博士課程後期課程修了。博士(芸術学)。日本学術振興会特別研究員DC2、同研究員PD(大阪大学)を経て、現在、関西学院大学文学部特別任用助教。