シューベルトの宇宙【第9回】アルペジョーネ・ソナタに纏わる追想

シューベルトの宇宙【第9回】アルペジョーネ・ソナタに纏わる追想

2023.09.19 シューベルトの宇宙 連載 シューベルト

はじめて買ったCD

僕がはじめて買ったCDは、ミッシャ・マイスキーのチェロとマルタ・アルゲリッチのピアノによるシューベルトの「※1アルペジョーネ・ソナタ」だった。調べてみると、このCDの発売は1984年。CD(コンパクトディスク)という媒体が売り出されたのがそもそも1982年だそうで、すると「アルペジョーネ・ソナタ」が僕の最初のCDだったのは納得できる。僕は1983年からアメリカのメリーランド州立大学に留学生として在籍していた。大学の生協に売っていたそのCDのジャケットに写る聖者のようなチェリストと美しいピアニストに魅かれて、そのCDを買ったのに違いない。

ミッシャ・マイスキーのチェロとマルタ・アルゲリッチのピアノによるシューベルト

ミッシャ・マイスキー(チェロ)、マルタ・アルゲリッチ(ピアノ) DECCA 1984年1月録音

しかしなぜ「アルペジョーネ・ソナタ」だったのか。僕は大学時代にギター部に所属しており、3年の定期演奏会を最後に引退した後も、ひとりでギターを弾いていた。アルペジョーネ・ソナタは、一度だけFMラジオで聴いただけだったが、僕の心に棲みついていた。ある日楽器店で、西垣正信・編「旋律楽器とギターのためのアルペジョーネ・ソナタ」の楽譜を発見した。ピアノ伴奏部がギターに編曲されたものである。僕は誰と合わせるかはさておき、この曲のピアノ伴奏部をギターで練習していたのである。ギターはピアノとは全く異なる楽器だ。しかしシューベルトは多くの曲の楽想をギターから得ていたという伝説もある。このソナタも、もしかしたら最初はギターで弾かれたのかも知れない。そう思うと、頭の中でメロディを鳴らしながら、伴奏部分を弾いているのも楽しいものだった。

僕はその頃大学院の入試に失敗し、同時に失恋もして、日本にいることに嫌気がさしていた。異国に行ってやり直してみよう。自分に研究の才能があるのかないのか。あればよし。なくてもしょうがない。僕は最低限の荷物とギター1本を持って、アメリカに向かったのであった。1983年の秋だった。

だからこのCDを買ったのは、アメリカに落ち着いてしばらくしてからだったのだろう。このCDは何度も聴いた。何度も何度も聴いた。そもそもアルゲリッチの前奏からして、「こんな風に弾くのありなんだ」と思わせるものであった。マイスキーのチェロ。第一楽章の悲しみと喜びを激しく行きかううなり。一転、第二楽章では迷い道から解放され暖かいスープに辿り着けたような幸せ、しかし、その幸せはなんとなく死に似ている。そして第三楽章の喜怒哀楽すべてを肯定するような輝き。マイスキーの自由なチェロにメリハリをつけ、優しく、厳しく支えるアルゲリッチの伴奏。僕は当時、マイスキーが何者で、アルゲリッチが何者か、ちっとも知らなかった。彼らの演奏のみから彼らを知った。僕は大学院で鳥類の聴覚の研究を進めていた。鳥はきれいな歌をうたうから、きっと聴覚が鋭敏だと思ったのだ。鳥類の聴覚から、いずれは人間が音楽を理解する仕組みの研究に移ろうという気持ちもあった。アルペジョーネ・ソナタは僕にとって愛の歌だった。

愛の歌

毎日毎日、僕は研究室の自室でアルペジョーネ・ソナタを聴いていた。大学院生になって3年目、新入生が入ってきた。金髪だが茶色の目をした女性であった。オランダ系アメリカ人であるとのことだった。彼女は市民オーケストラでヴァイオリンを弾いていた。毎日アルペジョーネ・ソナタを聴いている東洋人に興味があったのか、僕たちはだんだんと仲良くなっていった。メリーランド州立大学では、大学院生にアパートを貸しだしており、僕と彼女はご近所さまであった。僕はアメリカの現代小説にも興味があり、彼女もそうだった。僕たちは研究の上ではときおり喧嘩していたが、音楽と読書ではたいへん気が合い、ご近所さまであったこともあり、互いの部屋を訪ねて夕食を作り合うようになった。

果たしてヴァイオリンでもアルペジョーネ・ソナタのメロディーパートは弾けるだろうか。音域を問わなければもちろん弾ける。ある日僕は勇気を出して、西垣正信編の楽譜を彼女に見せ「これ、合奏しない?」と訊いてみた。彼女はその場でヴァイオリンを取り出し、弾き始めた。「弾けるよ。やろうか」ということで話はまとまり、僕は数年間ひとりで伴奏だけ練習していたアルペジョーネ・ソナタをついに合奏できることになったのだ。

しかしそれからが大変だった。僕は学業をそっちのけにして、1か月ほどこの曲をギターで弾けるように練習し続けた。なんとかなりそうか、と思ったところで僕たちは合奏をした。彼女のヴァイオリンが裏返ったり、僕のギターがもつれたりしたが、僕たちはなんとかこの曲を弾けるようになった。どこかで発表する当てはなかったが、僕たちはこの曲を何度も合わせて、録音を作った。そのテープは今も持っている。

僕たちはその後、仲良くなったり喧嘩をしたりしながら、僕が学位を取って日本に戻る日が来た。彼女はその頃、交際相手がいたが、それでも僕を空港まで送り届けてくれた。彼女はその後カリフォルニアで研究員になり、僕は数年後にカリフォルニアで学会があった折りに彼女の部屋に泊めてもらったのだが、何年かの空き時間はとても長く、僕たちは近況をおしゃべりした後別々に寝た。彼女は翌朝「こういうのをFear of Commitmentって言うんだよ」って教えてくれた。

それから

僕は日本で鳥の聴覚の研究を進めていった。その過程で、鳥のさえずりにある種の文法があることを発見し、研究は言語の起源へと展開していった。さらに、言語はそもそも歌からはじまったのではないかと考え、ついには音楽も研究対象となった。

彼女とはその後会えていない。僕の耳にはいつもアルペジョーネ・ソナタがある。10年ほど前、アルペジョーネを作りたいとブログに書いていた製作家を知り、思い切ってその方に製作を依頼した。彼はまさに、※2シュースターが作ったであろうアルペジョーネを復刻してくれた。僕はこの楽器で、今度はこの曲のメロディを練習し始めた。しかし、あの頃の狂ったような熱量なしには、この曲は難しすぎた。今は時々、第二楽章を弾きながら美と死と暖かさに浸るのみである。そしてつい、彼女の名前を口にしてみたりもするのだ。

著者所有のアルペジオーネ 楽器製作:平山照秋 ケース製作:須賀睦夫

著者所有のアルペジョーネ 楽器製作:平山照秋 ケース製作:須賀睦夫

※1 アルペジョーネはシューベルトの時代にウィーンで開発された、6弦の弦楽器。弓を用いて演奏し、フレットがあるなど、チェロとギター両方の特徴を備えている。ほどなくアルペジョーネは使われなくなったため、現在ではヴィオラやチェロなど他の弦楽器で演奏される。

※2 Schuster,Vincenz(~1863)ウィーンのギタリスト、チェリスト、作曲家。アルペジョーネの演奏に長けており、シューベルトに作品を委嘱し「アルペジョーネ・ソナタ」が生まれたと言われている。

ジュピター201号掲載記事(2023年7月12日発行)

プロフィール

岡ノ谷一夫

栃木県足利市出身。慶應義塾大学卒業後、米国メリーランド大学大学院で生物心理学博士。千葉大学助教授、理化学研究所チームリーダー、東京大学教授を経て、現在、帝京大学教授。音声コミュニケーション行動と意識の進化を研究。著書に「つながりの進化生物学」、「脳に心が読めるか」等。趣味は古楽の演奏。