シューベルトの宇宙【第2回】「アヴェ・マリア」と祈り

シューベルトの宇宙【第2回】「アヴェ・マリア」と祈り

2022.05.12 シューベルトの宇宙 連載 シューベルト 佐藤 卓史

「アヴェ・マリア」と祈り 佐藤卓史(ピアニスト)

1オクターヴに収まった完璧な旋律

2011年11月、私はクラリネットのカール・ライスターの来日公演のステージに立っていた。アンコールの前に、巨匠は日本語でメッセージを言いたいといってメモを読み始めた。3・11の被災者への言葉を口にしかけて押し黙り、見ると目にいっぱい涙を溜めている。そのあと「アヴェ・マリア」を演奏したのだが、本プロでは恐ろしいほど完璧だった巨匠が、泣いてしまって出ない音がたくさんあった。あのときの「アヴェ・マリア」は忘れられない。

『エレンの歌Ⅲ』D839 第1番 歌詞
Ave Maria! Jungfrau mild,
Erhöre einer Jungfrau Flehen,
Aus diesem Felsen starr und wild
Soll mein Gebet zu dir hinwehen.
Wir schlafen sicher bis zum Morgen,
Ob Menschen noch so grausam sind.
O Jungfrau, sieh der Jungfrau Sorgen,
O Mutter, hör ein bittend Kind!
Ave Maria!

通称「アヴェ・マリア」こと『エレンの歌III』D839は、メロディーだけでも完璧な作品のひとつだと思う。3節からなる有節歌曲で、1番・2番・3番とまったく同じ旋律が歌詞を変えて繰り返される。旋律声部は主音Bから始まって、詩の最初の1行(Ave Maria, Jungfrau mild)で上下に3度ずつ広がり、前半の終わり、4行目(Soll mein Gebet zu dir hinwehen)で属音FからFまでの1オクターヴにまで拡大する。以降その1オクターヴの範囲をはみ出すことはなく、その中に深い祈りとドラマを湛えた稀有な歌曲である。テキストとの関連でいえば、概ね1音節と1音符(ないし2音符)が対応するように書かれているが、2箇所だけ母音が長く引き伸ばされて、メロディーが細かく動くところがある。これを「メリスマ様式」というが、前述のJungfrauとhinwehenという歌詞のところがそれにあたる。これが宗教的な雰囲気を醸成し、最初のAve Mariaという呼びかけとあいまって、ラテン語の「聖母マリアの祈り」の文言(Ave Maria, gratia plena)をそのまま乗せて歌う「替え歌」も横行している。個人的にはいかがなものかと思うが、それでもメロディーの完璧さが損なわれることはない。冒頭の例のように、器楽のみで演奏されることも多い。

天才は省略する

ピアノ伴奏をする私はどちらかというとハーモニー(和声)に興味を惹かれる。原調は変ロ長調(B♭)である。最初と最後に置かれた「Ave Maria」の同じメロディーに1度目は偽終止(V-VI、F7→Gm)、2度目は全終止(V-I、F7→B♭)と異なるハーモニーが付けられている。痛みや不安の中で始まり、最後には祈りが聞き届けられたような安堵感がある。その間を巨視的に眺めれば、前半(前述のhinwehenまで)には属調(ヘ長調)方向への引力が働いており、後半は引き延ばされたドミナントが主和音に解決していく過程である。

譜例1

【譜例1】『エレンの歌III』第11小節の和声概略。凡百の作曲家ならDの後にG7を置くだろう(赤で示した)。和声の規則には合致するがあまりにも説明的すぎる。(譜面は筆者作)

最も驚くのは7行目「O Jungfrau, sieh der Jungfrau Sorgen」の部分のハーモニーだ。コードネームでいえばF→D→Cmという進行。Dは次のCm(ハ短調)から見ればドッペルドミナントであり、普通ならばこの間にドミナントの和音を挟んでD→G7→Cmと進行するだろう(譜例1)。ところがシューベルトはG7を省略した。私はここに作曲者の天才をみる。一時的な転調の際に用いられるドミナントモーション(II7またはドッペルドミナント→V7→I)の、間のV7を抜いてしまったわけだ。和声のルールを逸脱したD-Cmという進行には、説明のつかない、人智を越えた奇跡が宿っている。約150年後に荒井由実が「ひこうき雲」のサビ(空をかけてゆく)に付けたGm7-B♭m7-A♭M7というコードも原理的には一緒で、一時的にサブドミナントのA♭(変イ長調)に向かうときに、ドミナントのE♭7を省略して直接II7とIを接続したわけだ。このコードを見た松任谷正隆が即座に結婚を決意したという逸話は有名だが、残念ながらシューベルトにはそういう相手は現れなかった。

祈りの象徴

『エレンの歌III』は、ウォルター・スコットの叙事詩による連作「湖上の美人」全7曲の第6曲にあたる。あまり知られていないが、「湖上の美人」はいわゆる歌曲集とはだいぶ様相が異なり、第1・2・6曲の3つの『エレンの歌』は女声独唱、第3曲『舟人の歌』は男声四重唱、第4曲『挽歌』は女声三部合唱、第5曲『ノルマンの歌』と第7曲『捕われた狩人の歌』は男声独唱(いずれもピアノ伴奏つき)と、編成の異なる声楽曲が集められている。だから「湖上の美人」全曲が上演される機会は少ない。1810年に発表されたスコットの原詩は英語であり、シュトルクによるドイツ語訳(1814)がどのようにかしてシューベルトの目に触れ、選ばれた7篇に曲が付けられた。1825年春のことである。5月、シューベルトは書き上げたばかりの譜面を携えて、歌手のフォーグルとともにオーバーエスターライヒへの大旅行に出発した。

僕たちはあちこちで演奏しました。中でも、僕のウォルター・スコットの『湖上の美人』による新しい歌曲は大好評でした。聖母讃歌で僕が表現した信仰心は人々を驚かせ、皆の心を掴み、祈りへと導いたようでした。思うに、これは僕が決して無理に祈ろうとしたりはせず、不意に感動に襲われたときにしか、こういう讃歌や祈祷歌を作曲しないからなのでしょう。でもそれが真の祈りだと思うのです。 (1825年7月25日、シューベルトから両親への手紙)

「アヴェ・マリア」を聴き慣れた私たちはもう驚かないが、当時この新曲に触れた人々の感動はいかばかりだっただろうか。長い旅行の間、「アヴェ・マリア」は繰り返し演奏され絶大な人気を集めた。特にこの曲に執心したシュタイアエックのヴァイセンヴォルフ伯爵夫人ゾフィーが献呈先に立候補し、曲集は翌年Op.52として出版された。シューベルト歌曲の中では、珍しく作曲直後から相当に広い範囲に知れ渡った曲ということになる。

ロベルト・シューマンが結婚前夜に新妻クララに贈った歌曲集「ミルテの花」Op.25の第1曲『献呈』の後奏に「アヴェ・マリア」の歌い出しが引用される(譜例2)。シューベルトの熱烈な信奉者だったシューマンは当然「アヴェ・マリア」を知っていただろうし、クララもその意図を汲み取っただろうが、他にその引用に気づいた人は果たしてどのくらいいたのだろうか、と不思議に思っていた。しかし実際には、作曲から15年後の1840年(シューマンの『歌曲の年』)には、「アヴェ・マリア」はすでに誰もが知る名曲になっていたのかもしれない。

譜例2

【譜例2】シューマン『献呈』作品25-1より終結部。後奏のピアノの上声に「アヴェ・マリア」の旋律が登場する。

「湖上の美人」の主人公エレンは、父とともに国王に追われ、洞窟に身を隠している。眠りにつく前に、聖母に無事を祈願するのがこの場面だ。今この世界にも、咎なくして戦争に巻き込まれ、暗闇の中で必死に祈る人たちがいる。数ヶ月前までは信じられなかったことだ。

今年3月、ヴィオラ安達真理さんとのリサイタルのアンコールも「アヴェ・マリア」だった。今回は私も、涙なしに弾き終えることはできなかった。遠い異国で起きていることを止める手段は私たちにはない。それでも「祈る」という心を与えられたことが、人類にとってのせめてもの救いだと思う。

ジュピター194号掲載記事(2022年5月12日発行)

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プロフィール

ピアニスト

佐藤 卓史

高校在学中の2001年、日本音楽コンクールで第1位。東京藝術大学を首席で卒業後渡欧、ハノーファー音楽演劇大学ならびにウィーン国立音楽大学で研鑽を積む。その間、2007年シューベルト国際コンクール第1位、2010年エリザベート王妃国際コンクール入賞、2011年カントゥ国際コンクール第1位など受賞多数。N響、東響、日本フィル、大阪響、広島響、ベルギー国立管などと共演。 レコーディング活動にも力を入れており、日本と欧州で多数のCDを発表。2014年より「佐藤卓史シューベルトツィクルス」を展開、ライフワークとしてシューベルトのピアノ曲全曲演奏に取り組んでいる。室内楽、作編曲など幅広い分野で活躍している。

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