
バッハは光であり、プリズム体──無限の色を放つ存在
バッハ2025綾なす調和 Vol.2「バッハのプリズム」出演
佐藤俊介インタビュー
2025.05.23 インタビュー
ドイツの名門古楽アンサンブル、コンチェルト・ケルンのコンサートマスターや百年以上の歴史を誇るバッハ演奏団体オランダ・バッハ協会(Netherlands Bach Society)の音楽監督を歴任するなど、欧州の音楽界でますます重みを増している佐藤俊介さんが、住友生命いずみホールのバッハ・シリーズに、特別編成の古楽アンサンブル「赤いはりねずみ」とともに登場し、「バッハのプリズム」と題するコンサートを行なう。プログラムのコンセプトや聴き所、昨今の活動についてお話を訊いた。
様々な音楽を吸収し、磨かれていったバッハの個性
──プリズムとは、光の屈折・分散などを起こさせるガラスの器具で、しばしば学校の理科の実験などで使われますね。
佐藤:何がプリズムで光なのか、いろいろ考え方はあると思いますが、バッハは光で私たちはプリズム、このプログラムを通して、七色の光が出てきたらいいなと思っています。
いつも不思議に思うのですが、バッハが住んでいたところを地図で見ますと、たとえばイタリアやロンドンなど国際的に活躍したヘンデルやハッセ等と違って、ドイツ中部の非常に狭い範囲に限定されています。その点で非常にローカルなのにあれだけすばらしい作品を書いた。当時の音楽の二大潮流はイタリアとフランス音楽ですが、これらの様式も編曲をするなどしてドイツに居ながらにして学んでいる。しかも完全にバッハの音楽になっている。バロック時代には自作や他人の既存の楽曲の一部を借用する作曲技法がありましたが、どんな場合もバッハの個性は失われない。欧州でたくさんバッハを演奏してきましたが、そのたびに驚かされる。やはりバッハは光であって、プリズム体でもあり、その光の中の色は無限です。
バッハを巡る関係性に満ちたプログラム
──コンサートはまずそのバッハのヴァイオリン協奏曲ニ短調の第3楽章から始まります。この曲はチェンバロ協奏曲第1番として知られていますが、失われたヴァイオリン協奏曲が原曲とされていて、その復元版ですね。
佐藤:バッハは最初ヴァイオリン協奏曲を書き、カンタータ第188番《私は依り頼みをIch habe meine Zuversicht》の第1楽章にオルガン協奏曲に仕立て直し、その後カール・フィリップ・エマヌエル・バッハの手でチェンバロ協奏曲となって、19世紀にクララ・シューマンやメンデルスゾーンらに親しまれました。時代を超えて影響を与えた。2曲目のハインリッヒ・バッハは、バッハの祖父の弟なのでバッハの大叔父にあたります。バッハのルーツを聴くことで、バッハを巡る関係が、立体的に浮かび上がってくると思います。
──3曲目のルイ・マルシャンはパリの宮廷礼拝堂のオルガン奏者で作曲家。
佐藤:ドレスデンでバッハとの即興演奏の競演が企画されたものの、直前に怖れをなして逃げてしまった(笑い)。そのマルシャンのオルガン曲集の第5巻から〈フーガ〉など数曲を弾きます。競演相手への皮肉なのか、敬意の表れなのかわかりませんが、バッハはこのフーガを《ブランデンブルク協奏曲》第5番の第2楽章の主題に使っているのでお聴きいただけるとすぐにお分かりになると思います。この曲は当時フランスで好まれていたフラウト・トラヴェルソ(フルート)を使っていることから、楽器編成からいえばフレンチ風。マルシャンはフランス人ですから、どこか通じるものがあっておもしろい。
──ここでバッハの管弦楽組曲が来るのは、フランス続きだからですか?(管弦楽組曲はフランスの舞台音楽から始まったフランス風のジャンル)。
佐藤:そこは考えていなかった(笑い)。確かにそうですね。第3番はソロ楽器にトランペットやオーボエが入りますが、オリジナルはシンプルな弦楽合奏。今回はこの弦楽合奏版を弾きます。
──人気の〈G線上のアリア〉もありますしね。続くトマゾ・アルビノーニは、ヴィヴァルディと同時期にヴェネツィアで活躍した作曲家でバッハもとても高く評価していました。
佐藤:今回演奏するトリオ・ソナタOp .1の8は4つの楽章からなりますが、バッハは第2楽章のフーガの主題を借りてフーガを書いています。そこで第1、3、4楽章を原曲で、第2楽章はバッハのフーガを弾きます。原曲はトリオ・ソナタですし、バッハのフーガは鍵盤音楽ですが、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロによる編曲で弾きます。そしてモーツァルトによるバッハの「平均律」第2巻〈第9番フーガ〉の弦楽四重奏版とバッハのヴァイオリン協奏曲ホ長調BWV1042の全楽章を演奏します。
──特別編成のアンサンブルの名前「赤いはりねずみ」が面白いですね。
佐藤:住友生命いずみホールさんからアンサンブルを作ってくださいという、滅多にないお話があり、欧州や日本で共演した演奏家に声を掛けました。「赤いはりねずみ」はブラームスら音楽家たちが通ったウィーンのレストランの名前です。歴史的な重要性と遊び心を掛け合わせました。この先どうなるかわかりませんが、忘れられない名前になると思います。
実は、いま私にとって一番熱いのは、19世紀ロマン派の音楽なんです。ベートーヴェンやブラームスらの音楽は実際にはどのように演奏されていたのか。10年以上前からブラームスの同時代人による20世紀初頭の録音や文献などの資料でロマン派音楽の演奏法を研究し、ブラウン博士(ウィーン音楽大学などで教鞭をとる19世紀音楽の演奏法の研究者。『ブラームスを演奏する』音楽之友社等の著書がある)とお会いするなどして徐々に弾き方を変えていきました。当時の演奏家たちは楽譜にないルバートやポルタメントを取り入れるなど、今とは違う慣習に従って演奏していました。弾き手の好みもあるので難しい問題ですが、東京芸術大学でレクチャーしたら皆さんすごく興味をもってくれた。昨年秋にベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲のCD(COBRA)が出ましたし、鈴木秀美さんらとブラームスのヴァイオリンやチェロのソナタを含めた室内楽の録音も終わっているのでそのうちリリースされると思います。このブラームスのプロジェクトは、2017年にいずみホールさんでトリオをやらせていただいて以来なんですよ。
筆者は2月に川崎市鶴見のサルビアホールで行なわれた佐藤俊介さんとフォルテピアノのスーアン・チャイさんによるベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲公演のコンサートを聴いたが、魔法のようなアゴーギクやルバートに彩られた、まさに唯一無二のすばらしい演奏だった。最後に最近の活動を伺うと、オランダ・バッハ協会とともに行なっているバッハの全作品の演奏動画「All of Bach」(YouTube)のおかげで、様々な所から声が掛かり、オーケストラのヴァイオリンの弾き振りや指揮を依頼されるようになったという。19世紀音楽の演奏や協奏曲のソリスト、指揮者など、さらに幅広い活動が期待されるが、まずは10月の「バッハのプリズム」、バッハの光に満ちた忘れられないコンサートとなることだろう。
ジュピター212号掲載記事(2025年5月15日発行)
プロフィール
Shunske Sato
佐藤俊介
ヴァイオリニストであり、指揮者、室内楽奏者、ソリスト、指導者でもある佐藤俊介は、世界各地のピリオド楽器アンサンブルやオーケストラを指揮し、ソリストとしても出演する。
’13年から’23年まで、オランダ・バッハ協会のコンサートマスターを、’18年からは音楽監督を兼務し、’19年9月から10月に行われた日本ツアーを成功させた。
’11年からはコンチェルト・ケルンのソリスト、指揮者、コンサートマスターを、’13年からアムステルダム音楽院の教授としてヒストリカル・ヴァイオリンを教えている。
録音は「パガニーニ: 24のカプリースop.1」、「J.S.バッハ:無伴奏ソナタ&パルティータ(全曲)」、「BEE1H0VEN ~ ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ全集」他。
’10年、第17回ヨハン・セバスティアン・バッハ国際コンクールで第2位および聴衆賞受賞。’19年度 第61回毎日芸術賞、第70回芸術選奨 文部科学大臣新人賞を受賞。
プロフィール
Tsutomu Nasuda
那須田務
『音楽の友』「レコード芸術ONLINE」「毎日クラシックナビ」のレギュラー執筆者。著書に『ONBOOKS Advanceバッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ』『教会暦で楽しむバッハの教会カンタータ』等がある。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン理事。
関連公演情報
- バッハ2025 綾なす調和
- Vol.2 「バッハのプリズム」
2025年10/24(金) 19:00
【出演】
佐藤俊介(ヴァイオリン)& アンサンブル赤いはりねずみ
髙橋奈緒、小玉安奈、髙岸卓人、山本佳輝(ヴァイオリン)、矢崎裕一(ヴィオラ)、山根風仁(チェロ)、布施砂丘彦(コントラバス)、重岡麻衣(チェンバロ)
【曲目】
J.S.バッハ : ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 BWV1052Rより第3楽章
ハインリッヒ・バッハ : 5声のソナタ
L.マルシャン : オルガン曲集 第5巻より
J.S.バッハ : 管弦楽組曲 第3番 ニ長調 BWV1068 *弦楽合奏版
T・アルビノーニ : トリオ・ソナタ ロ短調 op.1-8
J.S.バッハ(モーツァルト編) : 平均律クラヴィーア曲集 第2巻より 《フーガ第9番》 ホ長調BWV878/K.405
J.S.バッハ : ヴァイオリン協奏曲 ホ長調 BWV1042
【料金】
一般 ¥7,000
フレンズ特別価格¥6,000
U‐30 ¥2,500
6/6(金)発売
公演情報はこちら
バッハ2025綾なす調和 6公演セット券+レクチャー(限定数)
一般 ¥35,000 フレンズ ¥30,000
【発売中】
セット券情報
