音楽と、風景と、身体と「音楽から生まれる言葉」

音楽と、風景と、身体と「音楽から生まれる言葉」

2022.07.14 エッセイ 堀朋平エッセイ 堀 朋平

うまく寝つけない夜に、暗闇でゴロゴロしながら動画再生サイトをスワイプしてしまう……悪い癖と分かっていながら、思わぬ出会いもあるものです。「信仰を持たない者の祈り」という小 1 時間の講演に聞き入ってしまいました。光さん(作曲家でありご子息)と鳥の歌、偶然がみちびく命、といった体験を訥々とつとつと語る大江健三郎。その肉声に、とっつきにくかった作家の素顔を見る思いで、コテン、すやすやの夜でした。小説・肉声・音楽……いろんなメディアが脳内で饗宴したおかげでしょう。

ある世代にとって大江の世界観が一つのモデルだったとすれば、より若い世代にとっても「これは自分のことを描いた小説だ」と思わずにいられない作家がいるのではないでしょうか。村上春樹がその一人。筆者は「ハルキスト卒業」を公言してはいるのですが、話題の『ドライブ・マイ・カー』(濱口竜介監督、2021年)を遅まきながら観たこともあって、その“沼”にまた片足をとられかけました。職業的に言わせてもらうなら、(逆ではなく)ようなワールドが魅力。音楽が文章を作っているのです。たとえば、何人ものキャラクターが分裂的に飛びまわるシューマンのピアノ作品のなかでも《謝肉祭》(1835年)は別格ですが、まさに同名の短編小説にはそんな分裂を体現した人物が躍動していて、シューマンの音楽が現代によみがえった観がありました(『一人称単数』2020年所収)。

あるいは、複雑な病と性的指向をかかえた青年が薄闇の山道でスポーツカーをかっ飛ばす。カーステレオからは、シューベルトのニ長調ピアノ・ソナタ(D850)。「不完全さの集積によってしか具現できない」「人の営みの限界を聞きとる」音楽……まるで語り手の生きざまが音になったかのようでした(『海辺のカフカ』第13章)。ニ長調ソナタは、超絶技巧ピアニストに献呈された野心作。この年、シューベルトは崇高なる山岳に接します。《アヴェ・マリア》(D839)も同じころ生まれました。

音楽から山岳がきこえる、などと同僚に言うと学問的見地から冷ややかな目を向けられることもあるのですが、前号でエッセイを書いてくれたピアニスト・佐藤卓史さんは大いに首肯してくださるはず。というわけで、この秋には山岳を聴きにホールに足をお運びください(9/11)。なんの偶然でしょうか、翌日の『ザ・グレート』公演は、上に引いた春樹の小説が発売された日のちょうど20周年にあたっています。

ジュピター195号掲載記事(2022年7月14日発行)

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プロフィール

住友生命いずみホール音楽アドバイザー

堀 朋平

住友生命いずみホール音楽アドバイザー。国立音楽大学ほか講師。東京大学大学院博 士後期課程修了。博士(文学)。近刊『わが友、シューベルト』(アルテスパブリッ シング、2023 年)。著書『〈フランツ・シューベルト〉の誕生――喪失と再生のオデ ュッセイ』(法政大学出版局、2016 年)、共著『バッハ キーワード事典』(春秋 社、2012 年)、訳書ヒンリヒセン『フランツ・シューベルト』(アルテスパブリッシ ング、2017 年)、共訳書バドゥーラ=スコダ『新版 モーツァルト――演奏法と解 釈』(音楽之友社、2016 年)、ボンズ『ベートーヴェン症候群』(春秋社、2022 年)など。

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