音楽と、風景と、身体と「生と画面越し」――2つの愉しみ

音楽と、風景と、身体と「生と画面越し」――2つの愉しみ

2021.11.11 エッセイ 堀朋平エッセイ 堀 朋平

ヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』を読んで以来、じめじめした季節も愛おしく思えるようになりましたが、でも一番好きなのは、物悲しさと静寂が混ざった秋でしょうか。学生に訊いても 11月の人気はゆるぎない。並木の色の変化を眺めながらコンサートホールに向かうのも楽しみの一つです。ただ、流行のウイルスは思いのほか強力で、ホール主催のモーツァルト・シリーズは当分お預けになりました。外国人アーティストを中心とする回は、開催のハードルがどうしても高くなります。

でもそのぶん、国内アーティストがひときわ輝いた夏秋でした。モーツァルト・シリーズの2公演(8月6日と9月3日)では、集まってくれたアーティストの方々から、さぁこの日をたっぷり味わおうといった思いが頭上あたりから発し、それが客席にも届いていたように見えたほど。ホールで瞑想して音楽に向き合っているのに、一人じゃない……住友生命いずみホールの生でしか味わえない体験を、大切にしたいものです。

いっぽうで、いま注目のインターネット配信もけっこう面白い。公演の音そのものというより、奏者たちが幕間に(ロビーコンサートの延長みたいな)トークを披露してくれることで、「へぇ、楽屋だとコンマスとオーボエはこう絡むのか」とか、「じゃあ今度はそこに注意してみよう」といった発見が、とにかく新鮮。いろいろな団体が工夫を凝らしているので、これからも期待できそうです。

ところで、こういう「画面越し」だと、授業の学習効果は意外にもきわめて高いのです。教師としては教室でなるべく顔を合わせたいと願うのですが、学生のほうからすると、教室に向かう、ドアを開ける、友人としゃべる、といった余分な動作をしなくてよいぶん、集中して気持ちを画面に向けられるのでしょう。あと興味深いのは「ノイズ」の問題。コンサートホールでは、注意をそらすノイズはないほうがよいのですが、でもオンラインで人と接するときは、ノイジーな要素がひときわ恋しくなります。

細長い画面には映りにくい「手」の表情を視るとか、余分な脱線で笑いあうとか。猿たちの毛づくろいを思わせる他愛もない所作に、案外コミュニケーションの本質はあるのかもしれません。

ジュピター191号掲載記事(2021年11月11日発行)

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プロフィール

堀 朋平

住友生命いずみホール音楽アドバイザー。国立音楽大学ほか講師。東京大学大学院博 士後期課程修了。博士(文学)。近刊『わが友、シューベルト』(アルテスパブリッ シング、2023 年)。著書『〈フランツ・シューベルト〉の誕生――喪失と再生のオデ ュッセイ』(法政大学出版局、2016 年)、共著『バッハ キーワード事典』(春秋 社、2012 年)、訳書ヒンリヒセン『フランツ・シューベルト』(アルテスパブリッシ ング、2017 年)、共訳書バドゥーラ=スコダ『新版 モーツァルト――演奏法と解 釈』(音楽之友社、2016 年)、ボンズ『ベートーヴェン症候群』(春秋社、2022 年)など。

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