音楽と、風景と、身体と「異世界はいずこに」
2022.03.10 エッセイ 堀朋平エッセイ 堀 朋平
「此処とはちがう世界」を夢見ずにはいられないのが、人の定めなのでしょう。あの哲学者プラトンでさえ、国家のあり方を問うて芸術をきびしく断罪したいっぽう、失われたアトランティス大陸やらオリハルコンの金属やらの夢物語を語ったように(『国家』と『ティマイオス』)。
でも難しいのが、現実と異世界の匙加減。完全な異世界を描くのは人間には不可能なので、フィクションは人々がよく知る素材――歴史など――を加工して作られますが、そういう加工はどうしても誰かを排除することになってしまう。「実際に存在した〇〇が、なぜこの物語では出てこないのか?」と気づいた人が声を上げるからです。排除されたのがマイノリティである場合は社会問題にもなってきました。ロバート・ゼメキス監督の映画『フォレスト・ガンプ』(1994年)で黒人問題が黙殺されていた事実などが思い出されます。もうひとつの困難は、「純粋な夢」は純粋でありつづけることができず、とかく現実のなにかと結託しがちであること。ドイツに目をむけると、初期ロマン派では、外界と自分の内面が不思議に浸透しあう、やさしいメルヒェンが好まれました。シューベルトも愛したノヴァーリスの『青い花』(1801年)なんて、永遠の子供の脳内ワールドみたいです。そうやって自己完結していた夢は、しかし世紀半ばに激しくなった歴史の荒波のなか「真のドイツ民族」という理想と合流し、ナチスの台頭を許すことになりました。「他者を害することなく、此処とはちがう世界を思うこと」はじつに困難で、やり甲斐のある仕事なのです。
べつに意図はなかったのですが、最近2つのフィクションに浸りました。ひとつは村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(1985年)。かけがえのない原風景を命がけで保存する話です。もうひとつは吾峠呼世晴原作のアニメ『鬼滅の刃』(2019年~)。33話をイッキ見してしまいました。子供から大人まで広い共感を呼んだのは、隣にいる友のためにおのずと自分を開いていく少年少女たちでした(チャンバラファンの私は我妻善逸が好き。人気投票No.1だそうです)。
自分だけの異世界と、利他的な輪――ふたつが両立する可能性を夢みています。
ジュピター193号掲載記事(2022年3月10日発行)
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プロフィール
住友生命いずみホール音楽アドバイザー
堀 朋平
住友生命いずみホール音楽アドバイザー。国立音楽大学ほか講師。東京大学大学院博 士後期課程修了。博士(文学)。近刊『わが友、シューベルト』(アルテスパブリッ シング、2023 年)。著書『〈フランツ・シューベルト〉の誕生――喪失と再生のオデ ュッセイ』(法政大学出版局、2016 年)、共著『バッハ キーワード事典』(春秋 社、2012 年)、訳書ヒンリヒセン『フランツ・シューベルト』(アルテスパブリッシ ング、2017 年)、共訳書バドゥーラ=スコダ『新版 モーツァルト――演奏法と解 釈』(音楽之友社、2016 年)、ボンズ『ベートーヴェン症候群』(春秋社、2022 年)など。
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