音楽と、風景と、身体と「学者の本番とは?」

音楽と、風景と、身体と「学者の本番とは?」

2022.01.13 エッセイ 堀朋平エッセイ 堀 朋平

寒くなると、なにか難しいことを考えたくなりませんか?
北欧神話の入り組んだ世界は、気候の産物ではないかと想像したくなります。私はといえば、ときどき風呂で『ゴルゴ 13』や『旧約聖書』などの長い物語に浸るという日課に加え、今年は「学者の生態」についてあれこれ考えています。

個人的なことになりますが、昨秋、シューベルトと神学をめぐる論文をひとつ学会発表しました。自分の内で日ごろ温めてきた大切なテーマを形にするわけですから、プロの演奏家でいえば、自分で一から作り上げるソロ・リサイタルに匹敵する大イベントです。これが学者の本懐であることは間違いない。いっぽうで、一般の方が観賞するための解説を任される機会も数多くあります。いわゆる「プログラムノート」の執筆がその主流。限られた文字数で、大切なことを噛み砕いて伝えるのは、じつにやりがいのある仕事です。

解説のもうひとつの形に「レクチャー」があります。これは、文章とはちがって「その場一回かぎり」の勝負ですし、作品を共に観賞しながら、皆の反応も伺いつつ、しかも次々と言葉を繰り出さなくてはならないので、たくさんの準備が要ります。昨秋、あるオーケストラ定期公演のプレレクチャーのためにブラームスの交響曲第2番と第3番を勉強し直しました。論文のように「発表者としての結論は何か」ということ以上に、「皆さんはどう聴くだろうか」という観点が大事だからでしょうか。作曲家が何を焦点に伝えたかったのか、そのために目立たぬ工夫をどれほど凝らしたか、そして何より、ブラームスがどれだけ優しい人だったのか――そんなことが、じんわりと身体に浸透してゆく貴重な体験でした。他者の視点を意識することで、音楽は驚くほどちがった聴こえ方をするのですね。

「自分の見解を追求すること」と「みなで分かち合うこと」。この二つを両輪として学者の日々は廻っているのでしょう。普段はたいてい客席の横顔しか知らない皆さまとも、もう少し親密な距離感で顔を合わせられたらと願います。その距離感でこそ楽しめる作曲家がブラームス。そのうち当ホールでじっくり聴きたいですね。

ジュピター192号掲載記事(2022年1月13日発行)

関連記事はこちら
音楽と、風景と、身体と「新時代の散歩」
音楽と、風景と、身体と「傷(トラウマ)と音楽」
音楽と、風景と、身体と「くりかえす日本の夏」
音楽と、風景と、身体と「虫たちの饗宴」
音楽と、風景と、身体と「生と画面越し」2つの愉しみ

プロフィール

堀 朋平

住友生命いずみホール音楽アドバイザー。国立音楽大学ほか講師。東京大学大学院博 士後期課程修了。博士(文学)。近刊『わが友、シューベルト』(アルテスパブリッ シング、2023 年)。著書『〈フランツ・シューベルト〉の誕生――喪失と再生のオデ ュッセイ』(法政大学出版局、2016 年)、共著『バッハ キーワード事典』(春秋 社、2012 年)、訳書ヒンリヒセン『フランツ・シューベルト』(アルテスパブリッシ ング、2017 年)、共訳書バドゥーラ=スコダ『新版 モーツァルト――演奏法と解 釈』(音楽之友社、2016 年)、ボンズ『ベートーヴェン症候群』(春秋社、2022 年)など。

公式twitter