音楽と、風景と、身体と「新時代の散歩」

音楽と、風景と、身体と「新時代の散歩」

2021.03.12 エッセイ 堀 朋平

この一年間で、私たちを取りまく音楽環境は一変しました。日々予断を許しませんが、そんな時こそ試されるのが「企画」の妙。状況に合わせて、アイディアをスタッフと練り上げていきたいと思います。

音楽の聴き方は、周りに広がる環境――あるいは風景――によってガラっと変わってくる、という事実にも改めて気づかされました。そして風景の変化は身体にも影響をもたらします。聴きなれている音楽も、置かれた状況によって大きく変わってくる。「音楽」と「風景」と「身体」は、変幻する三角形なのでしょう。

私は散歩が好き。距離はともかく、「散歩度」はベートーヴェンに引けをとりません。もう本を読むのはイヤだ!という時、気分が下向きになりそうな時、晩ご飯のおかずに頭が占有されはじめた休日の午後3時頃など(料理は毎日します)、iPod 片手に買い物袋を提げてふらりと街を歩きだす――。今年はその機会がずいぶん増えました。元旦の早朝などは(寒がりなのに)近所でいちばん高い丘めざして、ひとり自転車を漕ぎました。映画『耳をすませば』のラストシーンと、部活の朝練で飲んだミルクティーの味を思い出しながら。日の出の見当をまちがって 30 分もその辺をウロウロしていましたが、空の色の変化にあれほどドキドキしたのは、いったい何年ぶりだろう?その記憶も新しい正月明けに、この原稿を書いています(〆切が少し早めです)。

そんな散歩ですが、最近おもに二つの変化を体験しました。一つは、人々がよそよそしくなったこと。ささくれ立ったオーラを発散する人(こっちもそう見えているかも?)が向こうから来たら、そっと気配を消す。もう一つは、聴いている音楽とのシンクロ率が上がった気がすること。
メロディやリズムが、足を動かす動作にピッタリより添っているように感じられる。微妙な感覚ながら、周りとの距離が深まったぶん、音楽と身体のつきあいが密になった、ということなのかもしれません。

日々の風景にあって、音楽と身体はどう感応しあうのでしょうか。具体的な音楽の例も交えながら、このコーナーで綴ってみたいと思います。

ジュピター187号掲載記事(2021年3月12日発行)

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プロフィール

住友生命いずみホール音楽アドバイザー

堀 朋平

住友生命いずみホール音楽アドバイザー。国立音楽大学ほか講師。東京大学大学院博 士後期課程修了。博士(文学)。近刊『わが友、シューベルト』(アルテスパブリッ シング、2023 年)。著書『〈フランツ・シューベルト〉の誕生――喪失と再生のオデ ュッセイ』(法政大学出版局、2016 年)、共著『バッハ キーワード事典』(春秋 社、2012 年)、訳書ヒンリヒセン『フランツ・シューベルト』(アルテスパブリッシ ング、2017 年)、共訳書バドゥーラ=スコダ『新版 モーツァルト――演奏法と解 釈』(音楽之友社、2016 年)、ボンズ『ベートーヴェン症候群』(春秋社、2022 年)など。

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