シューベルト-約束の地へ- 後期の最高峰をたどる、7つの扉
2023.02.14 特集 シューベルト 堀 朋平
後期の森へ
ドイツの作曲家たちが、得意分野に特化するスペシャリストにならざるをえなかった後代(ヴァーグナーやマーラーなど)を思うと、シューベルトのバランス感覚はきわだっています。小品からオペラまで全曲種に腕をふるいつづけた、ロマン派に輝く最後のゼネラリストのひとり――その偉業を味わうには、ジャンルを横断するのがいちばんです。
昨年の夏に、私たちは4公演にわたって「オーケストラ」に浸り、レクチャーコンサートでは「歌」だけでなく「オペラ」の一場面をも味わっていただきました。そんな記憶も冷めやらぬ来シーズンは、その続編です。後期シューベルトの最高峰をたどる"7つの扉"――当ホールでかつて響いたことのない大作にも、ご期待ください。
「芸術における至高のもの」
31年のつつましい人生を送った芸術家に「後期」という言葉を当てはめられるだろうか?
ミケランジェロ(88歳)やゲーテ(82歳)、あるいはベートーヴェン(56歳)に比べると、ドラマとよべる波風はいたって少なかった。けれどこの人も、目指すべきものを自覚し、徐々に時間をおしむようになるフェイズがあったのである。
その決意が、ほぼ全ジャンルにわたって、自らのペンで綴られている事実には驚かされる。手紙をひもといてみよう――「自分のかつての弦楽四重奏曲【Vol.3公演】はぜんぜんたいしたものじゃないよ」(1824年、兄宛)。「私も自分の将来の運命がいくらか気にかかっていますから……光栄なご依頼もけっして引き受けるわけにはいきません」(1823年[?]、男声四重唱【レクチャー・コンサート】を依頼してきた友人宛)。
30代を前にした青年は、もはや友人に請われるまま音楽を書く"気ままな人"ではなかった。しかも歌曲だけではない。聴いたことのないほど奇抜で魅惑的なピアノ・ソナタ【Vol.4公演】を書く男としても、フランツ・シューベルトの名は国外までとどろいていた。
ドイツのショット社に自作を売り込む手紙には「芸術における至高のものへと向かうわが努力をお認めいただきたい」とある(1828年2月21日付)。「至高のもの(das Höchste)」、それは「並ぶものなき最高傑作」という意味だ。
梅毒がもたらす痛み――それは数年の間隔をおいて増幅された――で体がゆっくり蝕まれるあいだに、"肉体の滅び"と"天の不滅"をするどく意識するようになったのだろうか。この意味で「至高のもの」の最高峰に位するのがミサ曲第五番【Vol.2公演】(D678)である。それまで根ざしてきた教区教会の(アマチュアによる)演奏水準を大きく踏み越え、史上類のない構想でもって"神"と対峙する意欲が、いたるところに溢れている(図1)。この野心作が、ホール開館時から縁深いBCJの演奏で鳴り響く9月16日は、まさに"歴史"となるだろう。
歴史、あるいは室内楽の深淵
シューベルトにとっての歴史、それは何より偉人ベートーヴェンであった。偉人の葬儀(1827年3月29日)でシューベルトはお別れをした。その半年後に「2回目の告別」がおとずれる。ある秋の日、兄フェルディナントのデザインした墓標がヴェーリング墓地に捧げられたのである(図2)。体調はよくなかったにせよ、後輩がその場にいなかったとは考えられない。「死すべきものは発ち、星座となって夜空に瞬いています。今をもって、かの人は歴史となるのです」――悲劇作家グリルパルツァーの筆になる弔辞は、心にずしんと来ただろう。この頃に成立した最後のピアノ・トリオ【Vol.6公演】(D929)は、ベートーヴェンをめぐる"葬送/対峙/和解"のドラマをやどしているのだ(詳しくは公演の曲目解説で)。
そう、この作曲家の後期とは歴史への目覚めでもあった。その時期が、音楽史における「歴史主義」の始まりと重なっている事実は重い。次世代のフェーリクス・メンデルスゾーンは、ご存じのとおりバッハを甦らせた反面、32歳で招聘された首都ベルリンでは勃興するナショナリズムの渦に巻きこまれ、やがて"歴史と実存"のはざまで憔悴していった様子がある(図3)。19世紀において"歴史"は、ニーチェの言葉を借りれば「人を毒する」「病」にもなったのだ(『反時代的考察』、『この人を見よ』)。
そんな差し迫った時代がはじまる前に逝ったシューベルトは、過去にそれほど縛られることなく、もっと意のまま歴史に向きあうことができた。カルテットの歴史を大きく逸して、周りから期待されていた抒情に背を向けてまで"死"を見すえたのが《死と乙女》(D810)である。ここから、"今と昔"が交じりあうような特有の時間性が追求されていく。さらに弦楽五重奏曲【Vol.1公演】(D956)で私たちは、"聖vs.俗"や"騒vs.静"あるいは"進む時間vs.止まる時間"といった二世界を、大きなアーチのなかで何度も往還するだろう。
こうした独自の世界をあえて歴史の渦のなかでも味わえるように、本シリーズではアーティストのかたがたに少しばかり細やかな選曲リクエストをさせていただいた。シューベルトをめぐる作曲家トリオによるトリオ三作が一堂に会する夜、シェーンベルクが響く夜は、またとない公演になるだろう。
創作の源としての歴史ということでいえば、はるか中世や古代の伝説はたくさんの歌曲【Vol.5公演】を生んだ。20年ぶりのご来館となる碩学・白皙のテノール歌手には、あえて三大歌曲集ではなく、むしろ"歴史"や"自然"のなかに浮かび上がる"人の思い"を、そのひとこまたちを小曲で愛でるプログラムをお願いした。これになんとも細やかにお応えくださった歌手と、さらなる曲目調整をかさねている。
円環・狂気・至福……
さて、後期をむかえた三十路の男は"丸く"なったのでしょうか。先ごろ、筆者と同世代の作家・中田朋樹さんが出された900ページを超える小説は、そんな人生観の変化と作品のスタイルの深化をなだらかに結びつけています――「どうにもならない人間の性や運不運、汚辱を(…)客観的に見つめ、様々な角度から照射し、しっかりと抱き止めていきたいということ」(721頁)(図4)。
清らかな世界にひたすら焦がれる《未完成交響曲》のような若い衝動は、後期になって乗り越えられたのでしょうか。しずまらぬ衝動は、しかし最後のカルテット【Vol.3公演】(D887)の狂気となって還ってくるのか? 今と未来がふしぎに折り重なる至福が、やはりシューベルトの終着地だったのか――。7公演にお越しになる皆さまと、そんな答えのない問いを共に考えていきたいと願っています。
ジュピター198号掲載記事(2023年1月12日発行)
プロフィール
堀 朋平
住友生命いずみホール音楽アドバイザー。国立音楽大学ほか講師。東京大学大学院博 士後期課程修了。博士(文学)。近刊『わが友、シューベルト』(アルテスパブリッ シング、2023 年)。著書『〈フランツ・シューベルト〉の誕生――喪失と再生のオデ ュッセイ』(法政大学出版局、2016 年)、共著『バッハ キーワード事典』(春秋 社、2012 年)、訳書ヒンリヒセン『フランツ・シューベルト』(アルテスパブリッシ ング、2017 年)、共訳書バドゥーラ=スコダ『新版 モーツァルト――演奏法と解 釈』(音楽之友社、2016 年)、ボンズ『ベートーヴェン症候群』(春秋社、2022 年)など。
公式twitter関連公演情報
- Vol.1 地に沁みわたる神性
- 2023.8/4(金)
4月7日㈮発売予定
神尾真由子 with Friends
シューベルト:弦楽五重奏曲 ハ長調 D956
ボッケリーニ:弦楽五重奏曲 op.11-5
関連公演情報
関連公演情報
関連公演情報
- Vol.4 詩情は4つの世紀をこえて
- 2023.11/22(水)
8月5日㈯発売予定
ティル・フェルナー(ピアノ)
モーツァルト:幻想曲 ハ短調 K.475
ベート―ヴェン:ピアノ・ソナタ ハ長調 op.53
《ワルトシュタイン》
シューベルト:4つの即興曲 D935
シェーンベルク:6つの小さなピアノ曲 op.19
関連公演情報
- Vol.5 いつまでも伝わるもの―自然、神話、そして心
- 2024.1/17(水)
10月7日㈯発売予定
イアン・ボストリッジ(テノール)、
ジュリアス・ドレイク(ピアノ)
郷愁 D456、臨終を告げる鐘 D871
怒れるディアナに D707
夕映えの中で D799 他
関連公演情報
- Vol.6 歴史をきざむ三者(トリニティ)
- 2024.2/22(木)
10月7日㈯発売予定
トリオ·アコード
白井 圭(ヴァイオリン)、
門脇 大樹(チェロ)、津田 裕也(ピアノ)
フンメル:ピアノ三重奏曲 ト長調 op.35
ハイドン:ピアノ三重奏曲 変ホ短調(Hob.XV:31)
シューベルト:ピアノ三重奏曲 変ホ長調 D929
関連公演情報
- 【ご招待・要応募】レクチャー&コンサート 「幸福は、いまここに。」
- 2023.5/30(火)
堀 朋平(お話)、松原 友(テノール、お話)
三井 ツヤ子(メゾ・ソプラノ)、清水 徹太郎(テノール)、
森 寿美(バリトン)、武久 竜也(バス)、越知 晴子(ピアノ)
シューベルト:愛の霊 D747、詩編 第23番 D706、夜の明かり D892
セレナーデ D920、娘の愛の立ち聞き D698 他