〈祈り〉の深みへ、色彩の彼方へ──<br>小菅優 いずみ室内楽シリーズ Vol.1祈りを前に

〈祈り〉の深みへ、色彩の彼方へ──
小菅優 いずみ室内楽シリーズ Vol.1祈りを前に

2024.01.15 インタビュー 小菅 優

その音楽から、〈いま〉の深みを繊細無比に響かせるピアニスト──小菅優さんはこれまでも、素晴らしいリサイタル・シリーズを展開してきました。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲演奏をはじめ、〈水・火・風・大地〉と四つの元素をテーマに卓抜な選曲・演奏を閃かせた《Four Elements(フォー・エレメンツ)》‥‥最近では、あらためて〈ソナタ〉をテーマに時代を超え、さまざまな作曲家の音宇宙へ旅するプロジェクトを全国各地で展開中。

そして今、小菅さんと仲間たちの新しい室内楽シリーズが始まります。彼女が信頼を寄せる名手たちとの共演で、ここ住友生命いずみホールだけで繰り広げられる全3回のコンサートは、それぞれ〈祈り〉〈愛〉〈希望〉をテーマに選曲されるとのこと。スタートを前に、小菅さんにお話を伺いました。

〈祈り〉〈愛〉〈希望〉――室内楽シリーズのはじまりに

「全3回のテーマにした言葉は、尊敬する武満徹先生のインタビューにあったものです。彼にとっての音楽は〈祈り〉〈愛〉〈希望〉だった、というのを読んで、それをテーマにプログラムを組んだらどうなるだろう‥‥と考えたのがきっかけです」と語る小菅さん。彼女のプロジェクトはいつも、精緻な心くばりで選び抜かれたプログラミングが(も!)見事です。その演奏に身をひたしていると、異なる作品が互いに美しく呼応しあい、はたまた意外な深みで繋がっているところまで見えてきて‥‥と、コンサートを体感することでしか得られない喜びがあるのです。

今回のシリーズも、テーマが壮大なだけに選曲が楽しみですが、「全3回は、最初の〈祈り〉が四重奏で、2回目の〈愛〉は歌曲、第3回の〈希望〉は三重奏という編成で開催しようと考えています」とのこと。

初回の四重奏は、ピアノにクラリネット、ヴァイオリン、チェロというちょっと変わった編成となります。これは、フランスの作曲家オリヴィエ・メシアン(1908~92)がまだ若い頃、第二次大戦中にドイツ軍の捕虜になったとき、捕虜収容所のなかで作曲・初演された《時の終わりのための四重奏曲》の楽器編成です。同じ収容所にいた音楽家たちの楽器が、たまたまこの4つだったので、音楽史にほとんど先例のない組み合わせの四重奏が生まれたといいます。

「音楽は無力にも感じられますが、メシアンのこの曲は、戦争中の作曲家が困難の中、これほどに強く訴えかけてくる作品を書いたんだ‥‥と、いつも感動するんです」

室内楽シリーズの初回〈祈り〉は、メシアンによるこの傑作を中心に、フランスの作曲家たちによる室内楽を味わっていただきます。

「室内楽は、とてもインティメイト(親密)で人間的なものだと思います。歴史から学ぶことのない戦争も続く今の世の中で、音楽を通して人間的なメッセージを届けるために、私の大好きな仲間たちと、まずはメシアンの《時の終わりのための四重奏曲》という、心の底に残る作品を演奏して、お客さまと一緒に考えてみたいと思いました。そこで、このメシアン作品とも合い、大好きな住友生命いずみホールの響きに合う作品は何だろう‥‥と、他の曲との組み合わせを考えました」

戦争の極限を背に――メシアンの傑作に渦巻く色彩

メシアン《時の終わりのための四重奏曲》は1941年1月、極寒の収容所で捕虜仲間たちを前に初演されました。

オリヴィエ・メシアン(1937年撮影)

ゲルリッツ捕虜収容所で行われた初演コンサートの招待状
1941年1月15日CC BY-SA 4.0 国際

「大変な状況でおこなわれた世界初演を聴いた人たちも、凄く感動したんじゃないでしょうか。作曲された背景、その深刻さも反映されていると思います。1時間近くある曲ですけれども凄く惹き込まれる作品ですし、私も初めてこの曲を聴いたときにはびっくりしました。ライヴで聴くべき曲ですよね」

新約聖書でも異彩を放つ『ヨハネの黙示録』にインスピレーションを得て書かれた音楽──全7楽章は《水晶の典礼》ではじまり、《世の終わりを告げる天使のためのヴォカリーズ》など詩的なタイトルがつけられています。

それぞれ美しい緊張感を研ぎながら、細やかな表現が織り上げられ、聴き手を深く惹き込んでゆきます。楽章ごとに、四人全員が演奏したり二重奏だったり、はたまた《鳥たちの深淵》はクラリネット独奏だったり、曲想にあわせて楽器編成も自在。

「クラリネットは人間の声、あるいは息に似た楽器だと思いますし、この曲でもメシアンが愛した鳥の声を吹いていたりと、彼にとっても特別な存在だったのでは、と感じます。」

ほとんど無音に近い弱音から奏することのできるクラリネットは、この作品で厳しく彫り込まれた沈黙の深淵、その漆黒をも美しく描いてゆきますが‥‥

「この《時の終わりのための四重奏曲》で特徴的なのは、色彩です。メシアンの色彩は、たとえばスクリャービン[ロシアの作曲家で、神秘的な響きの作品に独特の色彩感を発揮]のそれとも違って、虹色に和声がついているような、絵画的でもあるメシアンだけの色彩感。リズムも皆で合わせるのがとても難しいんですが(笑)、どこか原始的な、原点に繋がってゆくようなものを感じます。‥‥でも、すべてが〈自然〉に繋がっているようにも思いますね」

メシアンがこの曲を書いた苦難の日々──戦地や捕虜収容所の夜明けに聴いた美しい鳥の声、といった自然の歌も(精緻なリズムで)取り込まれている《四重奏曲》。

「鳥の啼き声もあれば、《七つのトランペットのための狂乱の踊り》のように激しい楽章もあり、最後の《イエスの不滅性への讃歌》では、ヴァイオリンが遙か彼方まで上昇してゆくような‥‥これが、今回一緒に演奏するメシアンの《多くの死》の最後とも繋がってゆくように感じるんです」

二重奏から四重奏まで‥‥素晴らしき共演者たちと

最後に《四重奏曲》をおく今回のコンサートは、「デュオ(二重奏)からだんだん編成が大きくなるように組み合わせています」と小菅さんも言うように、まずはじめはサン=サーンス最晩年の名品、今回のテーマをそのままタイトルに戴いた《祈り》(1919年)。これは小菅さんのピアノと、俊英・北村陽さんのチェロによる二重奏です。

C.サン=サーンス (1921年撮影)

「北村くんは、私も共演させていただいている山崎伸子先生に師事していたこともあって、小学生の頃から私のコンサートに来てくれていたんです。彼がハイドンのチェロ協奏曲を弾く映像を観て、これほど感受性と音楽性を持った人がいるのか!と驚いたりと、いろいろな機会でその成長をずっと追ってはいたんです。音楽に対する使命感をパッションを強く持った人で‥‥私が樫本大進さんと共演したときにも聴きに来てくれたんですが、ちょうど戦争が始まった時だったので、私たちは最後にカザルスの《鳥の歌》を弾いたんです。それを聴いた北村くんが終演後、僕もこういうメッセージ性のある曲を演奏して平和を訴えていきたい、という趣旨の長いメッセージをくれた。それがずっと心に残っていたんです。それから時間が経って‥‥去年19歳になった彼の演奏を聴いたんですが、ものすごく成長していました。そこで考えて、この企画を一緒にできるのは、私にとっても彼にとっても意味のあることなんじゃないかと」

最近でもブラームス国際コンクール優勝、日本音楽コンクール・チェロ部門で優勝と内外で脚光を浴びる19歳、サン=サーンスの美しい祈りからメシアンの深い音宇宙まで、気鋭のほとばしりを魅せてくれるでしょう。

夭折の作曲家が向き合ったものを

2曲目のリリ・ブーランジェ《哀しみの夜に》はピアノとヴァイオリン、チェロの三重奏。ここではヴァイオリンに金川真弓さんが加わります。小菅さんが以前、メシアン《四重奏曲》を演奏することになってヴァイオリニストを探していたとき、金川さんの録音を聴いて「ああこの人だ!と思ったんです」という。「真弓ちゃんは音楽に対する感受性はもちろん、自分の考えをはっきり持った人だというのが演奏からも伝わってくる。彼女との《四重奏曲》も本当に素晴らしい演奏になりましたし、同じベルリンに住んでいるということもあって、それ以来よく会ってご飯を食べたりしています(笑)。大活躍していますが、素直でとても愉しい人ですよ」

チャイコフスキー国際コンクール第4位、ロン=ティボー国際音楽コンクール第2位および最優秀協奏曲賞と高く評価され、国際的に活躍を展開する金川さんも加わっての三重奏曲《哀しみの夜に》は、24歳で夭折したフランスの作曲家リリ・ブーランジェが、死を前にして書いた、痛切な美しさを磨きぬく作品。原曲の二重奏版・オーケストラ編曲版といろいろなかたちで聴かれる曲ですが、今回は三重奏版で。

「《春の朝》という明るい曲とセットで書かれたんですが、こちらの《哀しみの夜に》では彼女の暗い部分‥‥心の闇が見えます。哀しみというか、死を前にした祈り、を感じたので、今回の選曲に入れたいと思いました。最初に聴いていただくサン=サーンスの色から、リリ・ブーランジェの色、そしてメシアンへ‥‥という全体の流れのなかで、どの曲もすべて〈死〉とも関係しながら、リリ・ブーランジェの作品がいちばん人間くさいようにも思いますね。メシアンとはまったく違う、むしろフォーレやドビュッシーに繋がる世界です」

盛んに演奏される作曲家ではないけれど、いちど聴けば忘れがたく心に染みてくる‥‥そんな魅力をもったリリ・ブーランジェ。彼女の作品に続いて、いよいよメシアン作品が演奏されるわけですが、その選曲にも意外な出逢いがあったといいます。

魂の向かう先へ――メシアンの秘曲も演奏

「リリ・ブーランジェとメシアンの繋がりを調べているうちに、彼女の姉であるナディア・ブーランジェ[作曲家・指揮者で名教師としても著名]の記事を読んだんです」と小菅さん。姉のナディアは自身の活躍のかたわら、妹リリの遺した素晴らしい音楽作品を世に広めるため、力を尽くしました。

左:ナディア 右:リリ(1913年撮影)

「姉のナディアはパリ音楽院で教えていたメシアンとも同僚でしたし、メシアンがずっとオルガニストを務めていたサント・トリニテ教会は、ブーランジェ家の追悼式などもおこなわれているなど、いろいろ縁があるんですね。もっともナディアのほうは、メシアンの強いカトリック信仰はリスペクトしていても、それ以外の神秘的な発想にはちょっとついていけなかったらしいですが‥‥

そんなナディア・ブーランジェとメシアンの接点から、意外な作品が見いだされます。

「若い頃のメシアンは、ナディアが開催していたコンサートシリーズで自分の新しい曲を初演してほしくて、とても熱心にはたらきかけていたそうなんです。それが、今回演奏する《多くの死》[1929年]という曲です。私もこれまで知らなかったのですが、これがあまりにも素晴らしい曲で、しかも《時の終わりのための四重奏曲》にも繋がる曲調といいますか、最後に希望のみえる音楽です。若い頃のこの作品が《四重奏曲》の方へどのように成長していったか、というところも面白いと思います」

《多くの死》も変わった編成の作品で、声楽ふたり(ソプラノ&テノール)にヴァイオリンとピアノ、という珍しいもの。メシアン自身による、抽象的で神秘的な歌詞がついています。

「楽譜では、ふたりの声楽それぞれに〈第一の魂〉〈第二の魂〉と記されているのですが、死に向かってゆく段階でのエクスタシーや最終的な救済、といったものが歌われます。とても美しいものを感じたのですが、聴いているうちに、これは歌の部分を他の楽器に代えて演奏できるのでは‥‥と気づいて、今回はクラリネットとチェロが声楽パートを演奏します」

メシアン作品でも演奏例がとても少ない初期作品《多くの死》、これが器楽の四重奏で演奏されることは「調べても先例が見つからないので、とてもチャレンジだと思います」という貴重な試み。

「でも私と[クラリネットの]吉田誠くんは、これまでもブラームスの歌曲を器楽で共演して、歌詞のない歌曲で訴えかけてゆく、ということもしてきましたから」と言うように、吉田誠&小菅優のデュオで2020年に発売されたアルバム(ブラームス&シューマン作品集)の成功に続く挑戦でもあります。

《時の終わりのための四重奏曲》、その壮大な深みへ

「誠くんはもうずっと共演してきて、彼こそ〈切り拓いてゆく人〉だと思っています。自分の企画も積極的に展開していますが、私とは違う面ももっている。たとえば私がフォーレを弾くと、ドイツ音楽との違いにむずむずしてしまうんですが(笑)、誠くんはフランス語やフランス音楽のニュアンスにも堪能で、フォーレ作品の背景にある哲学とかいろいろ教えてくれますし、それで弾いたあとに〈なるほど、こういうことか〉と思ったりする(笑)。彼はそれこそ一番小さなピアニシモから強いフォルティシモまで、音のレンジがもの凄く広いですし、想像力が豊か。私が感じないことも感じ取っているところがありますし、彼にはプログラミングの相談もしたりしますね」

深い信頼をおく共演者でもあり、「私が誠くんの演奏を初めて聴いたのも、今回共演するメシアンの《四重奏曲》だったんです」というから、今回の選曲にはいよいよ意味があるわけです。

小菅優・吉田誠・金川真弓・北村陽――素晴らしい音楽家が4人揃ったメシアン作品2曲は、各人の深い感受性と強い音楽性が、美しく重なり融けて昇華してゆく、まさに〈ライヴでこそ聴きたい〉時間となるでしょう。

「《時の終わりのための四重奏曲》の色彩には、宗教性が深く関わってくると思います。メシアンにとって天国はどういう色だったんだろう‥‥と言うとちょっと幼くきこえますけど(笑)、人間ひとりひとりの感情にも色がついているし、土の色や虹の色といった〈自然〉のほかにも、音で表されるさまざまな色がある。メシアンの場合、それが他の作曲家と全然違う。たとえばハーモニーの変わり目で感じられる色、というのは他の作曲家にもあるんですが、メシアンの場合はその種類がもっとある」

ときに絢爛、溢れかえるような色彩とリズムの渦に呑まれる音楽体験‥‥四重奏という人数の少なさからは信じがたい、途方もなく壮大な音の宇宙を開拓した傑作でもあります。

「ハーモニーのひとつひとつから煌びやかな色彩が見えてきたり、それはまた、お客さま一人一人がそれぞれ違う風に感じられるものではないか、と思います。私たちが一緒に演奏するときも、4人が同じ色を想像するというよりは、それぞれの想像する色が微妙に違うと思うんですよね。――〈祈り〉にも、激しい祈りから、すべての終わりに向かう祈りまで、いろいろな色がある。無色にみえたとしても〈白〉もまた色なんですよね」

知情豊かな素晴らしいピアニスト・小菅優と、その仲間たちが響かせる〈祈り〉、そのなかに見いだされる無限の〈色〉‥‥。室内楽の極みを、ライヴでこそ体感したいと思います。

 

ジュピター204号掲載記事(2024年1月11日発行)※掲載記事に一部加筆、修正を加えています。

プロフィール

Yu Kosuge

小菅 優(ピアノ)

2005年カーネギーホールで、翌06年には、ザルツブルク音楽祭でそれぞれリサイタル・デビュー。小澤らの指揮でベルリン響、フランクフルト放送響、シュトゥットガルト放送響、BBC響、NDRエルプフィル等と共演。ザルツブルク音楽祭ではポゴレリッチの代役として出演。第13回新日鉄音楽賞、第17回出光音楽賞などを受賞。14年に第64回芸術選奨音楽部門 文部科学大臣新人賞、2017年第48回サントリー音楽賞受賞。2017年から4年にわたり、4つの元素「水・火・風・大地」をテーマにしたリサイタル・シリーズ『Four Elements』を開催し好評を博した。

プロフィール

ライター[音楽・舞踊評論]

山野雄大

『レコード芸術』『バンドジャーナル』など雑誌・新聞での執筆、インタビュー取材をはじめ、NHK・FM「オペラ・ファンタスティカ」他ラジオ・テレビ出演も。第一生命ホールでのコンサートシリーズ《雄大と行く 昼の音楽さんぽ》ナビゲーターを務めたほか、コンサート解説、歌詞対訳、ONTOMO MOOK『バレエ音楽がわかる本』など寄稿あれこれ。日本製鉄音楽賞選考委員ほか。

関連公演情報
小菅 優 いずみ室内楽シリーズ Vol.1 祈り
2024年3月7日(木) 19:00開演

小菅 優 いずみ室内楽シリーズ Vol.1 祈り
【出演】
小菅 優(ピアノ)
金川真弓(ヴァイオリン)
北村 陽(チェロ)
吉田 誠(クラリネット)
【曲目】
C.サン=サーンス: 祈り op.158
L.ブーランジェ: 哀しみの夜に
O.メシアン:多くの死
時の終わりのための四重奏曲

【料金】一般¥6,000 U-30¥2,000 フレンズ特別価格¥5,000

文化庁文化芸術振興費補助金
劇場・音楽堂等活性化・ネットワーク強化事業
(地域の中核劇場・音楽堂等活性化)
独立行政法人日本芸術文化振興会

公演情報はこちら
小菅 優 いずみ室内楽シリーズ Vol.1 祈り