音楽と、風景と、身体と「疾走する祈り」

音楽と、風景と、身体と「疾走する祈り」

2023.11.24 エッセイ 堀朋平エッセイ 堀 朋平

去る9月16日のこと。バッハ・コレギウム・ジャパン(=BCJ)によってシューベルトの《大ミサ曲》(5番、D678)が鳴り響きました。「約束の地」をめぐる今年度シリーズ、はやくも第2回にして大きな頂点ですので、ちょっと振り返らせてください。

プロジェクトを率いてくださった鈴木雅明さん。最大の決断は、通奏低音に持ち運び式のポジティヴオルガンではなく、ホール設置のパイプオルガンを使うというものでした。なるべく現場のパイプオルガンを中心とした音楽づくりを――それが「世界のオルガニスト」の切なる願い。今回は、ホールのオルガン・ピッチ(A=442Hz)にあったピリオド楽器を、管楽器奏者たちがそれぞれに吟味する、場合によっては新たに調達する(!)という困難なハードルを乗り越えてくださったのです。合唱にならぶのも、一線で活躍中のソリストばかり。BCJが本公演にそそぐ渾身の熱意と力が、ホールにも舞台裏にも伝わっていました。

もうひとつの困難は、この大ミサ曲が変イ長調で書かれていること。バルブなどの音程調整装置がまだ一般化していない時代の管楽器では、音を「あわせる」ことがそもそも難しい調。だからこそ「天なる霊的存在のふるさとへと魂がたゆたう」(1835年の美学書より)などとも言われた、きわめて繊細な調なのです。トランペット(B管)奏者にとっては、利き腕でないほうの手で速記を続けるようなものでしょうし、そんな音世界を、指揮者に背を向けたまま支えるオルガニストにいたっては、バックミラーだけで時速60キロのバック運転を敢行するようなものです(※)。「そもそもあわない」ものをあわせること。それがあの日の音響を支えた神業だったのでしょう。

おもえば大学に入りたての25年前、いまの私と同い年のマエストロが弾くバッハの《半音階的幻想曲とフーガ》に魅了されました。《マタイ受難曲》の力強い音符たちを思いだすとき、あの鋭い眼光と長い両腕でくりだす身体動作が、おのずと脳裏に浮かびます。そしていまやシューベルトも、指揮台の雅明さんの動きとともに深く記憶されました。くぐもった「たゆたい」と輝かしさが同居し、近代的ホール空間ならではの快速テンポで人を酔わせる“疾走する祈り”の身体感覚も、生演奏ならではといえましょう。

「約束の地」への疾走は続きます。

※ 舞台裏や打ち上げで聞いた現場の声に基づく比喩です。

プロフィール

Tomohei Hori

堀 朋平

住友生命いずみホール音楽アドバイザー。国立音楽大学・九州大学ほか非常勤講師。東京大 学大学院博士後期課程修了。博士(文学)。近刊『わが友、シューベルト』(アルテスパブリ ッシング、2023 年)。著書『〈フランツ・シューベルト〉の誕生――喪失と再生のオデュッ セイ』(法政大学出版局、2016 年)、共著『バッハ キーワード事典』(春秋社、2012 年)、 訳書ヒンリヒセン『フランツ・シューベルト』(アルテスパブリッシング、2017 年)、共訳 書バドゥーラ=スコダ『新版 モーツァルト――演奏法と解釈』(音楽之友社、2016 年)、ボ ンズ『ベートーヴェン症候群』(春秋社、2022 年)など。

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