音楽と、風景と、身体と「遊ぼうよ!」
2023.07.20 エッセイ 堀朋平エッセイ 堀 朋平
いまは家にネズミ1匹(たぶん)いないのですが、少年時代は大型犬をまんなかに毎日がまわっていました。最初に飼ったシベリアンハスキーは、はるばる長野の山奥の猟師さんに家族でもらいに行ったっけ。この犬種が人気になる前ですから、道すがら出会う人々の反応がほんとうに楽しみでした。うわ、オオカミだー!と騒ぎ出す子供やら、地球外生命体を観る目でおそるおそる近づいてくる大人やら……。眼もブルーだったんです。
そんな経験があるからでしょうか、大きな公園を散歩していて(たまにですが)通りすがりの犬とじゃれ合える時間が今でも幸せです。ワンちゃんだってヒトは見飽きているはずですから、手を出されても普通はちょっとクンクンするくらいで終わる。さてそこで、もう一歩、踏み込んでみる。間合いを詰めるというやつです。うまくいくと向こうも「おっ」となって、舐めたり飛び掛かったりしてくれる。フォーマルな仕事の後だとシャツの袖やズボンが大変なことになるのですが。
この「おっ」の瞬間です、好きなのは。遊び相手を認識した昂ぶりで、目にキラリが走り、とたんに距離が縮まる。こういう「遊ぼうよ」の感覚って、対ヒトのコミュニケーションでも生きていることに最近気づきました。かしこまった文体での仕事メールに、ちょっと文末に「(笑)」を付けてみようかな、とか思ったり。久しぶりに同僚と挨拶するとき、相手の表情にも「(笑)」が見えた気がしたり。この種のカンはたいてい間違っていません。この感覚が共有できると、きっと仕事もうまくいく。言葉でやり取りできる情報なんて、行間とかフィーリングとかに比べると、ごく小さいのかもしれません。少なくとも「なんか仲良くできている嬉しさ」がなかったら、音楽にたずさわる仕事はだいぶ味気ないものになるでしょうから。
アドバイザーがそんな暢気で大丈夫?と思われますか。ご安心を。当ホールのスタッフは、そういう“遊び心”と、たくさんの実質的な数字でも間合いを詰める“リアリティ”を備えた人ばかり。このふたつって、相反する両極なのでしょうか。そうではなく、どちらが欠けてもうまく回らなくなる「両輪」なのかもしれませんよ。
ジュピター201号掲載記事(2023年7月12日発行)
プロフィール
住友生命いずみホール音楽アドバイザー
堀 朋平
住友生命いずみホール音楽アドバイザー。国立音楽大学ほか講師。東京大学大学院博 士後期課程修了。博士(文学)。近刊『わが友、シューベルト』(アルテスパブリッ シング、2023 年)。著書『〈フランツ・シューベルト〉の誕生――喪失と再生のオデ ュッセイ』(法政大学出版局、2016 年)、共著『バッハ キーワード事典』(春秋 社、2012 年)、訳書ヒンリヒセン『フランツ・シューベルト』(アルテスパブリッシ ング、2017 年)、共訳書バドゥーラ=スコダ『新版 モーツァルト――演奏法と解 釈』(音楽之友社、2016 年)、ボンズ『ベートーヴェン症候群』(春秋社、2022 年)など。
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