【特別対談】シューベルトを巡る 〜優しさ、儚さ、果てしなさ
2022.07.14 インタビュー シューベルト 特別対談
シューベルト交響曲全曲演奏会
山田和樹 × 堀 朋平
特別対談 シューベルトを巡る 〜優しさ、儚さ、果てしなさ
優しさを感じる歌
山田:シューベルトの交響曲全曲に、これほど集中的に取り組むのは初めてです。しかも4日間という短期間で!これまで行ってきたベートーヴェン、マーラーの全曲演奏では、演奏する幸せはあったものの内容がヘビーで大変でした。今回のシューベルトは楽しめるんじゃないかと思います。肖像画のベートーヴェンは怒っているけど、シューベルトは優しいですよね。演奏することでその優しさに触れたい。
堀:人の弱さを受け入れてくれるのがシューベルトの魅力、そう感じる演奏者って多い気がします。ピアニストの河村尚子さんもそう語っておられました。
山田:基本的に肯定してくれる。それでもいいんだよ、と。ベートーヴェンは否定から始まりますが、シューベルトに感じるのは優しさ。
堀:優しさというのは、やはり「歌」にあらわれるのでしょうかね。歌のメロディを器楽に導入したシューベルトは革命的でした。ウィーン古典派の器楽は、ある意味では歌を排除するところに成立しましたから。
山田:歌を器楽に導入したという見方ができるのであれば、オペラから歌を引っ張ってきたという面もあるのでは?
堀:まさに。書いたオペラがなかなか上演されない例がけっこうあったので、せっかく書いた素晴らしい旋律を交響曲に再利用した例もあります。ジャンルを超えたネットワークはシューベルトの強みですよね。
シューベルトの深み
山田:歌をもとにした音楽って、シンプルなものをだんだん複雑化していくのが普通ですが、シューベルトの歌はどんどんシンプルになっていくように感じます。たとえば交響曲第5番なんて、最初の4小節は音階だけ、続く第1主題は分散和音。「未完成」の冒頭では順次進行。「ザ・グレート」の冒頭もそう。シンプルになっていくけど、歌の深みが増していく。名曲には、どこか人間と自然との一致を感じます。旋律線が山の峰や川の流れとリンクするように。「未完成」の冒頭もそう。夜の波のよう。
堀:和樹さんは「音階をどう使うか」に作曲家の魅力が詰まっていると語っておられますよね。いっぽうで、音をあえて素直に流れさせない箇所もあるように思います。第2番の冒頭など、「5小節」単位と「3小節」単位を取り入れてスリリングに進みますし。あと「ザ・グレート」だと、フィナーレのうねるような高揚とか。
山田:「ザ・グレート」のフィナーレはとくに気が抜けません。でも素直にいかないからこそ自然に聴こえるんじゃないかな。モーツァルトもそうですよね。ところで、シューベルト像ってなんだろう?って、演奏しながら毎回思っています。
堀:たくさんの思想を吸収できた「柔軟さ」ではないでしょうか。和樹さんは古代のケプラーをよく引き合いに出されますが、例えばケプラーを支えたプラトン主義―天地のダイナミックな往還を語る思想―は、マイアホーファーという賢者のおかげでシューベルト歌曲の作品にも溶け込んでいます。「未完成」の第1楽章と第2楽章は、まさに"堕落"と"上昇"の円環。人間はイデア界から堕ちてしまったけれど、いつしかそこに帰っていく。まさにプラトン的に解釈できます。
止まっていられない儚さ
山田:後期はもちろん、初期の交響曲からも特有の高揚感を感じます。ビートがいつまでも続いて、ゆっくりの楽章でも決して停滞感はない。例えば「未完成」の第2楽章。速度表記はアンダンテですが、8分の3拍子となっていて、1、2、3って重たい感じよりも大きな一拍子の感覚があります。
堀:たしかに。「1小節=1拍子」の"すばやさ"は、古楽スタイルの成果もあって近年おなじみですね。緩徐楽章にこそ高揚感を、という和樹さんの発想は啓発的ですし、本番が楽しみです。疾走感、リズムのノリをとくに大切にされていますか?
山田:ケースバイケースですね。もともと歌は息なので、止まっていられないんです。素敵なメロディー、ハーモニーがあるからここに留まっていたい、でも行かなきゃいけない、という儚さが魅力かな。
堀:とてもよくわかります。シューベルトの時代は、どちらかというと安穏とした時代でした。でも鋭敏な感覚を持った芸術家は、時間は止まらず動いていくという宿命に敏感だったのでしょう。だからこそ、つかの間の時をいつまでも慈しみたい、という二面性が生まれるのかもしれません。
シューベルトは東洋的?
山田:第4番「悲劇的」は、同じタイトルのマーラーの交響曲第6番「悲劇的」ともまったく印象が違うんですよね。ベートーヴェンの危機的な感じとも、ブラームスとも違う。
堀:たしかに。マーラーみたいな自滅も描かれませんしね。ひとつ言えるのは、「英雄の死によって人は自由になる」という悲劇論が当時のウィーンで流行していたことです。シューベルトの第4番も、最後はぱっと長調で解放されますから、その点で悲劇思想から解釈されることも近年では多くなっています。
山田:泣くにしても、声を大にして泣かない。
堀:まだ「ザ・グレート」みたいに突き抜けていないのでしょうか。
山田:逆に大人だったのではないかな。怒るときに怒っている、喜ぶときに喜んでいるのではなく、そこに何か違う意味を持たせるという感覚。
堀:アイロニーということですよね。特にシューマン以降にきわだってくる性質だと思いますが、それをシューベルトに当てはめると新しい聴き方ができそうです。
山田:そうですね、シューベルトを演奏する際によく感じるのは、本当に彼が考えたことは違うのではないか、ということです。我々が気づいてない想いが、どこかにあるんじゃないかと。
堀:いつまでも到達できない?
山田:そんな感じですね。でももし本人に聞いたら、うんそれでいいんだよって言うかもしれませんし。自分の想いとは別に、演奏の多様性を認めていたんでしょうね。「自分はまぁ楽譜にはそう書いたけど、好きなようにやってくれればいいんだよ」と―この感覚は日本の作曲家だと武満徹さんに近いかもしれません。
堀:和樹さんはマーラーも武満と組み合わせたりすることで、西洋と東洋の接点をひとつの大テーマにされてきましたよね。人の手で音楽を突き詰めることに、シューベルトはそれほど信頼を置いてなかったのでしょうか。
山田:かも知れない。「ザ・グレート」は分厚い物語を読み終わった、という達成感よりも、無限に続くお経を読み上げるような感じがします。独特の慈悲と温かさがありますね。シューベルトは、壮大に言うと人間の至らなさを描いたという気がします。
堀:記譜法からしても、シューベルトの自筆譜は校訂者をかなり困らせてきましたよね。
山田:そう、そもそも記譜法というものが完璧ではないから、いい意味での「人間としての不完全さ」、果てしなさを感じますね。 4つのオーケストラで、一期一会の音楽を
堀:大阪の4つのオーケストラと取り組むことに、どんな意欲を感じていますか?
山田:自分の感覚を押し通すのではなく、それぞれのオーケストラの受け止め方によって音を柔軟に変えていきたいですね。そのオーケストラならではの音楽ができなければ意味がない、と強く思います。個性を大事にしつつ、全然違った色合いの4つの演奏会を作り上げたいです。
堀:楽しみです。シューベルトの交響曲それ自体にも「成長」が刻まれていますから、ぜひコンプリートして人間としての深まりを実感していただきたいと思います。いずみホール独特の一体感ある音響は、シューベルト時代の親密な音づかいにすごくマッチしているのではないでしょうか。
山田:そういう魅力に惹かれて、演奏会に来ようと思ってくださったら嬉しい。じゃあちょっと足を運んでみようか、という感じで来られた方の中に、これが初めてのオーケストラ体験だったという人がいたら、それはとても幸せなことです。この全曲演奏会が、新しい"出会い"の場になれたらいいな、と思います。
ジュピター195号掲載記事(2022年7月14日発行)
プロフィール
指揮
山田和樹
第51回(2009年)ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝。ほどなくヨーロッパ・デビュー、以降ドレスデン国立歌劇場管、パリ管、フィルハーモニア管、ベルリン放送響、サンクトペテルブルグ・フィル、チェコ・フィル、サンタ・チェチーリア管、エーテボリ響、など各地の主要オーケストラで客演を重ねている。2017年にはベルリン・コーミッシェ・オーパーで《魔笛》、モンテカルロ歌劇場で《サムソンとデリラ》《ヴォツェック》を指揮して高い評価を得るなど、オペラの分野でも活躍。 2012年からスイス・ロマンド管の首席客演指揮者を務めた他、2016/17シーズンから、モンテカルロ・フィル芸術監督兼音楽監督に就任。2018/2019シーズンから首席客演指揮者を務めるバーミンガム市響では、2023年4月から首席指揮者兼アーティスティックアドバイザーに就任することが発表された。日本では、日本フィルハーモニー交響楽団正指揮者、読売日本交響楽団首席客演指揮者、東京混声合唱団音楽監督兼理事長、横浜シンフォニエッタの音楽監督としても活動している。 東京藝術大学指揮科で松尾葉子・小林研一郎の両氏に師事。 本質に迫るとともにファンタジーあふれる音楽づくり、演奏家たちと一体になって奏でるサウンドは、音楽の喜びと真髄を客席と共有し熱狂の渦に巻き込む。名実ともに日本を代表する人気マエストロである。ベルリン在住。
プロフィール
住友生命いずみホール音楽アドバイザー
堀 朋平
住友生命いずみホール音楽アドバイザー。国立音楽大学ほか講師。東京大学大学院博 士後期課程修了。博士(文学)。近刊『わが友、シューベルト』(アルテスパブリッ シング、2023 年)。著書『〈フランツ・シューベルト〉の誕生――喪失と再生のオデ ュッセイ』(法政大学出版局、2016 年)、共著『バッハ キーワード事典』(春秋 社、2012 年)、訳書ヒンリヒセン『フランツ・シューベルト』(アルテスパブリッシ ング、2017 年)、共訳書バドゥーラ=スコダ『新版 モーツァルト――演奏法と解 釈』(音楽之友社、2016 年)、ボンズ『ベートーヴェン症候群』(春秋社、2022 年)など。
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