
音楽と、風景と、身体と 「舞台裏の音楽人」
2024.05.23 エッセイ 堀朋平エッセイ 堀 朋平
舞台裏の音楽人
おとずれる人の名前や時間をぜんぶ把握してその日をひそやかに仕切る人、椅子や譜面台を運ぶすごい背筋力をもった沈着の人、お客さまのニーズを先読みしてエレガントに場を整える人、初めての土地を故郷のように知悉して颯爽とアーティストの案内をする人……。順に「公演担当スタッフ」「ステージマネージャー(通称ステマネ)」「レセプショニスト」「マネージャー」とよばれる人たちです。ほかにもここには書ききれません。舞台裏に蠢く人びとは、私にはまるでない才能に満ちあふれています。
ちょっと硬い話になりますが、半世紀ほど前に「何が人間性の核をなすのか」という議論が思想界を賑わせました。たとえばハンナ・アーレント(1906-75)という哲学者によると、ひとの営為は労働・制作・活動の3つに分けられる。ようは主体性を問われないアルバイトなどの労働でもなく、あまり人と関わらない手仕事のような制作でもなく、活き活きとした対話で「公」に進みでる活動こそが人を人たらしめるのだ、というわけです。今ではちょっと目の粗い分類にみえますね。
しかし、こういうクリアカットにひそむ問題を見つめてよく読むと、アーレントは「制作」にたんなる仕事だけではなく芸術的な創作の意味もこめ、これこそが無二の永続性を支えるとも言っていて、
一筋縄ではいきません※。労働だって「誰がやっても同じ機械的なもの」というけれど、芸術と機械の相性があんがい悪くないことを思えば、美しい音や文章を生みだす芸術家や文学者は本当にかけがえないのか?という問いも生じてきそう。“機械に近いほど人間的だ”なんていう逆説は、もう昨今のアニメや映画にあふれています。
ホールスタッフに衣装の紐を結んでもらうことで安心して舞台に進めたり、「ガンコ者」なんて言いあいながらマネージャーと楽しく食事をしたり……そんなアーティストを目にしていると、舞台裏の人びとの言動は、本番の音そのものにも作用しているように思えてきます。そもそも人には意識できない無限の泡だちが、音楽を鳴らしているのですから。
※東 浩紀『訂正可能性の哲学』(ゲンロン、2023年)など
ジュピター206号掲載記事(2024年5月16日発行)
プロフィール
Tomohei Hori
堀 朋平
住友生命いずみホール音楽アドバイザー。国立音楽大学・九州大学ほか非常勤講師。東京大学大学院博士後期課程修了。博士(文学)。『わが友、シューベルト』(アルテスパブリッシング、2023年)で令和5年度芸術選奨文部科学大臣新人賞(評論部門)受賞。著書『〈フランツ・シューベルト〉の誕生――喪失と再生のオデュッセイ』(法政大学出版局、2016年)、共著『バッハ キーワード事典』(春秋社、2012年)、訳書ヒンリヒセン『フランツ・シューベルト』(アルテスパブリッシング、2017年)、共訳書バドゥーラ=スコダ『新版 モーツァルト――演奏法と解釈』(音楽之友社、2016年)、ボンズ『ベートーヴェン症候群』(春秋社、2022年)など。
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