オルガニスト 冨田一樹 インタビュー「祈りの旋律で、ホールを幸福な空間に」

オルガニスト 冨田一樹 インタビュー「祈りの旋律で、ホールを幸福な空間に」

2022.01.13 インタビュー 冨田一樹

2022年3月より、冨田一樹プロデュースによるシリーズ「バッハ・オルガン音楽の美学を巡る」が全3回にわたって開催される。冨田一樹は、大阪生まれのオルガン奏者。2016年のバッハ国際コンクールのオルガン部門で優勝を果たした、気鋭の大器だ。その功績を残すまでの歩みのそばには、いつもバッハがいた。その軌跡に迫りつつ、シリーズへの意気込みを聞いた。

バッハとオルガン、ともに出会った中学時代

冨田一樹とオルガンとの出会いは、同時にバッハとの出会いでもあった。クラシック好きの母親の影響で、子どものころから音楽は身近な存在だった。運命の出会いが訪れたのは、中学時代のことだ。

「家にCDがたくさんあって、ふとバッハのオルガン作品集が目に入り、聴いてみたんです。すると、強く惹きつけられる感覚があって。バッハとオルガン、どちらにも引きこまれた。これを機に、オルガンを習い始めました」

すでに小学生のころに始めていたピアノに情熱は注げなかったが、オルガンには熱中した。それは、この楽器ならではの「不自由さ」に奥深い魅力を感じたからだった。

鍵盤を押して弦にハンマーが落ちるピアノとは違い、パイプオルガンはパイプに空気を送り込むことで音が鳴る楽器だ。ピアノのように指先で音色や強弱は変えられず、スウェルペダルで音量を変えたり、音色を変えるストップをカスタマイズしたりする。仕組みや構造を理解してはじめて、楽器をものにできるのだ。「しかも演奏効果が大きいので、まるでマシーンを動かしているようなんです」と冨田は笑う。

「同じ四分音符を弾くにしても、それを100%伸ばすのか、あるいは75%なのか、50%なのか。一つひとつの音の長さを変えるだけで、無限に表現の幅が広がるんです。数学的で、頭を使います」

それと同時に、バッハへの思い入れは、冨田の勉強意欲を掻き立てた。まだ中学生だったころから、バッハの作品や姿を知ろうと楽譜に向き合い続けた。 「バッハのことなら、他のオルガン奏者よりもうんと勉強をしたと自負しています。バッハ作品ならではの構造や和声、表現方法など、とにかく知識を深めて実践を重ねましたね」

迷いを経てたどり着いた、確かな結果

大阪音楽大学のオルガン専攻に入学し、5年間の在籍の後、ドイツのリューベックに留学した。ここで、大きなターニングポイントを迎える。2016年に行われたバッハ国際コンクールのオルガン部門で、第一位を受賞したのだ。

今の活躍ぶりを見ていると、その名誉ある功績は、得るべくして得たかのように思える。しかし本人にとって、ここに至るまでの道のりは、長い「迷いの時期」だったという。

「自分の演奏はこれでいいのか、と不安に思っていたんです。日本にいるときは、いわゆる〝巨匠〟と呼ばれる演奏家たちを手本にしてきたのですが、結局それは真似に過ぎないのではないか、と。つまるところ、自分独自の演奏がどんなものなのか、自分でも分からなかったんです」

そんな状態を切り抜けるきっかけになったのが、師匠のアルフィート・ガスト氏との出会いだった。

「先生は、すごく建設的なレッスンをするんです。『君がここでこうやって弾きたいなら、そっちのセクションではこのテンポで弾いたらいいんじゃない?』と、論理的な考察で方向性を示してくださる。このレッスンの積み重ねは、間違いなく自分の糧になりました」

本場のドイツにいたからこそ、多くの教会のパイプオルガンに触れられたのも、良い経験だったという。

「もっとも弾く回数が多かったのは、リューベックの聖ヤコビ教会。残響が5、6秒くらいあって、すごく長いんです。本場の古い楽器に多く触れ、素晴らしい環境で練習できたのもよかったです」

その裏側で、留学中にはこんな苦労もあった。「僕、ドイツ語が苦手で、外国だと何かしらトラブルは発生するし、ご飯も苦手で……(笑)。最初の1年は語学留学に専念していて、あまり練習もできなくて。かなりフラストレーションが溜まり、『何がなんでも結果を残して帰るぞ』と思っていました」。ドイツでの下積み生活が自信を養い、功績へと導いた。

2019年8月にリサイタルで来日したアルフィート・ガスト氏と

2019年8月にリサイタルで来日したアルフィート・ガスト氏と

新しいバッハ像を提示したい

帰国してから今まで、活発な活動を繰り広げてきた冨田。2022年3月から始まるシリーズは、オルガンと冨田を引き合わせたバッハを全面的に打ち出すことから、きっと特別なものになるだろう。「今までに演奏したことのない作品も含んでいるので、挑戦的な企画になると思います」と意気込む。

シリーズは全3回。第1回目は、後期作品を取り上げる。

「後期の作品から、フーガを多くセレクトしました。バッハはフーガを愛していましたし、僕も大好きです。バッハにとって、旋律は〝祈り〟。旋律と旋律が重なることで、祈りが広がり、大きなものができあがる。これが、バッハの音楽の作り方なんです。会場内で、ある種幸福な空間が作れるのではないかと思います」

そして第2回は初期作品、第3回は中期作品と続く。なぜ、あえて中期をラストにしたのか。

「僕、バッハ作品の中で中期が一番好きなんです。初期の実験的な精神と、後期の理性的な姿勢とのバランスが、心地良いと思います。一方で遊びの心も忘れていない。好きだからこそ、中期作品で締めくくりたいと思いました」 冨田には、ある狙いがある。それは、「新しいバッハの顔を模索すること」。

「住友生命いずみホールのパイプオルガンは、フランス・ケーニヒ社製。繊細で美しい音が印象的ですが、ゴリゴリとした荒々しい一面もあり、魅力的な楽器です。今までにない繊細なバッハの音色が聴けるのではないかと思います。

バッハ国際コンクール授賞式で、ミヒャエル・ラドゥレスク氏と

バッハ国際コンクール授賞式で、ミヒャエル・ラドゥレスク氏と

またバッハは、ドイツ製の楽器をメインに使っていたはずなので、フランス製の楽器で演奏することにおもしろさがあると思っています。教会でなく、コンサートホールで演奏するのもまたポイントですね」 また、3年という長期にわたるシリーズならではの楽しみ方もある。

「バッハの音楽の変遷を俯瞰できるのはもちろん、僕自身の音楽づくりの変化も見られると思います。今までの冨田一樹を知ってる人も、そうでない人も、お楽しみいただければ嬉しいです」

ジュピター192号掲載記事(2022年1月13日発行)

プロフィール

パイプオルガン

冨田 一樹

大阪音楽大学オルガン専攻を最優秀賞を得て首席で卒業。同大学音楽専攻科オルガン専攻を修了。リューベック音楽大学大学院オルガン科修士課程を最高得点で修了。オルガンをアルフィート・ガスト、古楽をハンス・ユルゲン・シュノールの各氏に師事。
バロック音楽を得意とし、国内外で数多くの演奏会に出演。
YouTubeにてパイプオルガンを紹介する活動も行う。
(一社)日本オルガニスト協会会員。大阪音楽大学非常勤講師。オフィス・フォルテに所属。 これまでに「咲くやこの花賞(音楽部門)」「音楽クリティック賞(奨励賞)」「坂井時忠音楽賞」等を受賞。ライプツィヒ第20回バッハ国際コンクールのオルガン部門にて日本人初となる第一位と聴衆賞を受賞。
ドキュメンタリー番組「情熱大陸」に出演。

オフィシャルWEBサイト
プロフィール

音楽ライター

桒田 萌

1997年大阪生まれの編集者/ライター。 夕陽丘高校音楽科ピアノ専攻、京都市立芸術大学音楽学専攻を卒業。在学中にクラシック音楽ジャンルで取材・執筆を開始。現在は企業オウンドメディアの編集・制作を行いながら、音楽雑誌や音楽系Webメディア、音楽ホールの広報誌などで、アーティストインタビューやコラムの執筆を行っている。

関連公演情報
冨田一樹プロデュース バッハ・オルガン音楽の美学を巡る vol.2 バッハの実験的精神〜初期

日時:2023年3月21日(火)
開場:15:30/開演:16:00
出演者:冨田一樹(パイプオルガン)
演奏曲目:J.S.バッハ
プレリュードとフーガ ヘ短調 BWV534
小さな和声の迷宮 ハ長調 BWV591
ファンタジー ハ短調 BWV1121
パストラーレ ヘ長調 BWV590
フーガ ハ短調 BWV574 (レグレンツィの主題による)
フーガ ト短調 BWV578 <小フーガ>
プレリュードとフーガ ハ長調 BWV531
トッカータとフーガ ニ短調 BWV565
コラール 「輝く曙の明星のいと美しきかな」 BWV739
コラール 「主なる神、われらのかたえに」 BWV1128
マニフィカト 「わが魂は主をあがめ」 BWV733
コラール 「汝、平和の君、主イエス・キリスト」 BWV1102
コラール 「主イエス・キリストよ、われらを顧みて」 BWV709
パッサカリア ハ短調 BWV582
料金:一般¥3,300 学生¥1,650
住友生命いずみホールフレンズ¥2,970

公演情報はこちら
冨田一樹プロデュース バッハ・オルガン音楽の美学を巡る vol.2 バッハの実験的精神〜初期