音楽と、風景と、身体と「大作曲家を支えた“声”」

音楽と、風景と、身体と「大作曲家を支えた“声”」

2025.09.19 堀朋平エッセイ 堀 朋平

大作曲家を支えた“声”

メイン企画「バッハ2025 綾なす調和」が走りだしています。いっぽう昨年度のテーマはメンデルスゾーン。この2人の作曲家を“裏から”眺め返せるレクチャー&コンサートを作りたいと思っていました。こうしてできあがったのが、去る7月25日の公演「アンナとファニー その“声”を聴く」。主人公は、大バッハの2人目の妻アンナ・マグダレーナと、フェーリクス・メンデルスゾーンの5歳上の姉ファニー。大作曲家を支えた2人の女性です。 大曲が並びがちなオーケストラや室内楽の公演に比べて、今回のように歌手とピアニストだけのプログラムでは、選曲にずっと小まわりが利きます。この特長を活かして、2人の女性の素顔に迫りたい……そんな思いから、100%手づくりのプログラムをお送りしました。

2人の声を届けてくれたソプラノ歌手は、松井亜希さん。個人的な話になりますが、私が初めて当ホールの舞台に立たせていただいたレクチャー&コンサート「シューベルト あこがれ、さすらい、そして成熟」(2016年8月)でご一緒した方です。芯のある透きとおった声だけでなく、歌詞にあわせて優雅に舞いだしそうな身体表現──ご本人も「自然と体が動くんです」とおっしゃっていました──が大きな魅力です。 ピアニストは阪田知樹さん。この方にお願いできればなあ…と当初から望んでいました。驚くほどのレパートリーを誇りながらも、ひとりひとりの作曲家に全幅の共感をもって入り込み、ソフトなタッチで楽譜の向こう側まで写しとっていく。じつは歌曲伴奏にも大いなる情熱を秘めています。初めてづくしのプログラムに挑むにあたって、自筆譜ファクシミリを揃えるなど、いつもながらの熱量で臨んでくださいました。

こうして生まれた新コンビ。最大限の共感力をもつお二人のひそみに倣って、私も、字幕をぜんぶ女性の言葉で訳すなど、だいぶ入れ込んだので、アンナやファニーと脳内対話するほどまでになりました。いわば「家庭の天使」というジェンダー役割を引き受けながらも、音楽への夢と情熱を持ちつづけた女性たち──そんな存在を思うと、大バッハへの旅もいちだんと奥ゆかしくなるのではないでしょうか。

ジュピター214号掲載記事(2025年9月10日発行)

プロフィール

Tomohei Hori

堀 朋平

住友生命いずみホール音楽アドバイザー。国立音楽大学・九州大学ほか非常勤講師。東京大学大学院博士後期課程修了。博士(文学)。『わが友、シューベルト』(アルテスパブリッシング、2023年)で令和5年度芸術選奨文部科学大臣新人賞(評論部門)受賞。著書『〈フランツ・シューベルト〉の誕生――喪失と再生のオデュッセイ』(法政大学出版局、2016年)、共著『バッハ キーワード事典』(春秋社、2012年)、訳書ヒンリヒセン『フランツ・シューベルト』(アルテスパブリッシング、2017年)、共訳書バドゥーラ=スコダ『新版 モーツァルト――演奏法と解釈』(音楽之友社、2016年)、ボンズ『ベートーヴェン症候群』(春秋社、2022年)など。やわらかな音楽研究をこころざしている。

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