「Jupiter」に掲載されたインタビューを本ページ用に編集し、お届けするコーナー。
本誌ではカットされた部分も公開しますので、お楽しみに。
独自取材企画が登場することもあります。
演奏会が100倍面白くなる旬の情報は、ぜひここで。

アンドラーシュ・シフ インタビュー
Jupiter’s Special
アンドラーシュ・シフ(ピアノ)

聞き手・寺西 肇 (産経新聞大阪本社 文化部 記者)

「Jupiter」108号に掲載した、アンドラーシュ・シフ インタビューを転載します。
聞き手&書き手は産経新聞記者の寺西肇さん。インタビューは来日前のシフさんにメールで行われました。
いずみホールの3月4日の彼のリサイタルは完売。コンサートをお聴きになった方も、お聴きになれなかった方も、シフのバッハ観、モーツァルト・エディション(ヘンレ版)への取り組み、今後の抱負など、情報満載の当インタビューをお楽しみいただければ幸いです。

 

 磨き上げられた音楽性と技巧により、幅広いレパートリーで数々の名演を生み出し続けるアンドラーシュ・シフが、「バッハの極致」と題し、6つのパルティータ全曲に取り組む。知性と愉悦を併せ持つ演奏で聴衆を魅了する彼に、バッハ演奏の理念や、やはり得意とするモーツァルト、近況について聴いた。

 「バッハの音楽は非常に色彩豊かだが、私はルネサンス絵画のように原色、つまり基本的な青や赤、緑、そして白や黒を使おうとします。印象派のように曖昧な色彩は、バッハの音楽に入り込む隙はないのです」と切り出した。
 彼の生む音色の美しさは聴く者の心をとらえるが「美しい音だけでは、すばらしい音楽を作り出せない」と言う。「演奏される音楽の表情に応じて、音は変化に富まなければならない。音によって悲しみや怒り、悲劇、ドラマを表現しなければならない場合もある。その上、それが真実でなければならない。しかし、それは決して下品だったり、醜悪だったりしてはならないのです」
 シフは最近、富田庸氏が校訂した『平均律クラヴィーア曲集 第2巻』(ヘンレ版)にフィンガリング(指使い)をつけ加えた。このような場合、チェンバロなどのフィンガリングは参考にするのだろうか。
 「私のフィンガリングはピアノのために作られてはいますが、クラヴィコードやチェンバロのことも、もちろん心の内にある。実際に、これらのフィンガリングは、奏者がサスティン(ダンパー)・ペダルにまったくさわらなくても演奏が可能です」
 バッハは自分の人生で最も重要な作曲家、と語るシフ。「そんな中でパルティータは間違いなく、彼の最高傑作のひとつです」。今回は、6曲すべてを演奏するが、シフは「バッハは『クラヴィーア練習曲集』の第一巻として、これらの6つの曲を書いたが、彼自身はこれらが同時に演奏されることをほとんど想定していなかった」と話す。
 「しかし、私は偶然にも、これらがひとつのコンサートのプログラムとしても、とても素晴らしいと気づいた」と言う。「今回、私は『第5番(ト長調)−第3番(イ短調)−第1番(変ロ長調)−第2番(ハ短調)−第4番(ニ長調)−第6番(ホ短調)」へと曲順を変えました。この方法だと、ヘキサコードを順に上がってゆき、長調と短調も交替させながら聴くことができます」
 古楽の隆盛してきた今日に「ピアノでバッハを弾く意義」とは何か、と尋ねると「確かに、数年前までは(古楽の勢いに押されて)現代ピアノでバッハを弾く動きは退潮の兆しを見せていた。しかし今日、幸運にもますます多くのピアニストがバッハに取り組んでいます。チェンバロによる演奏と現代ピアノによるバッハ演奏が好ましいバランスで行われるべきだと思う。道具は、それほど重要ではなく、音楽的な才能と芸術的な技巧こそが基本です」と明解な答えが返ってきた。
 そして、自身とバッハの関わりについて「バッハがドイツから出ることなく、フランスやイタリア、その他あらゆる音楽を知り尽くしていたことは、私には奇跡に思える。もちろん、バッハは時代を超えた最も偉大な音楽の才能に恵まれた天才である一方、私は本当にちっぽけな人間に過ぎず、何の共通点もありません。しかし、精神的に我々はつながっている。彼の音楽の中には謙虚さがあり、彼は信心深く、神を信じ、そのことが彼に強さをもたらしている。私もまた、バッハの音楽が我々がより良き人間たらしめる存在だと思うのです」と説明する。
 シフの弾くモーツァルトもまた、非常に定評があるが、彼にとってバッハの存在とは違うのだろうか。
 「いちばん大きな違いは、2人の自身の存在の認識の違いだと思う。バッハは自分を不滅の存在だとは考えず、ただ自分のごく小さな社会の中で、神の使用人として曲を書いているに過ぎなかった。一方で、モーツァルトは自らの天賦の才能に気づき、その時から個人はますます重要な存在となったのです」
 昨年はモーツァルト・エディション(ヘンレ版)のプロジェクトにも参加し、ピアノ協奏曲のピアノ・パートにフィンガリングのほか、カデンツァもつけ加えた。「モーツァルト自身が書いたカデンツァが残っている場合、私はいつも彼のものを弾きます。しかし、それ以外の場合、自作を使います。私は今までこれらを楽譜にした経験はなく、ただ私の頭の中にあって、演奏にあたっては即興的な要素を付け加えてきた。今回のヘンレ版の編纂にあたり、私は初めて(自作のカデンツァを)楽譜にしました。私にとって、カデンツァはモーツァルトの協奏曲で実は最も重要でない部分ですが、必要不可欠な存在でもあるのです」。

 今後の取り組みについて「私はバッハやハイドン、モーツァルト、ベートーベン、シューベルト、その他すばらしい作品に関しては、何度だって演奏したい」と語ったシフ。「特にバッハの『フーガの技法』、ベートーベンの『ディアベリ変奏曲』、さらにはシューマンやドビュッシー、バルトークには積極的に取り組みたい」と付け加えた。


<プロフィール>
András Schiff(ピアノ)
1953年、ハンガリーのブタペスト生まれ。フランツ・リスト音楽院、ロンドンで学んだ。演奏活動はバッハなどの主要な鍵盤楽曲によるリサイタルや全曲演奏会、一流オーケストラとの共演に加え、近年はピアノの弾き振りも。1999年には自身の室内楽オーケストラ、カペラ・アンドレア・パルカを創設した。音楽祭の創設などにも関わる。受賞、名誉教授の称号授与も多数。