音楽と、風景と、身体と「走りだした、ベートーヴェン」

音楽と、風景と、身体と「走りだした、ベートーヴェン」

2026.07.24 堀朋平エッセイ 堀 朋平

年間シリーズ「走りだす、ベートーヴェン」が走りだしました。

幕を開けたのは、ベートーヴェンの歌曲をお届けするレクチャー&コンサート(四月二三日)。冷たい春雨がアスファルトを濡らす夜でしたが、太陽を先どりする《五月の歌》で、冒頭からホールじゅうに初夏の香りが広がっていくようでした。

松原 ともさんは、ドイツ歌曲によせる並ぶものなき愛と、繊細な高音で魅せる無二のリリック・テノール。陽気なお人柄には、人を安心させてくれる天性の強さも感じます。わたくし事で恐縮ながら、ちょうど一〇年前に初めて当ホールでマイクを握ったときにご一緒した、思い出深いアーティストでもありまして、そんな友&朋でともにプログラムを作りました。

伴奏者という言葉があります。ベートーヴェンの時代くらいから、歌に寄り添うピアノ奏者は、歌がとうてい語りつくせない“心”の中を増幅して音にする存在になっていきます。その役をお引き受けくださったのは、オペラ指揮者として名高い園田隆一郎さん。オペラとはちがい、「歌曲って作曲家の心を覗くみたいなジャンルですよね」とのお言葉から、今回のタイトル「歌詞ことばからのぞく、楽聖ルートヴィヒの心」が生まれました。「人前でピアノを弾く機会なんて、滅多にないんです」とも舞台で仰いましたが、独特の緩急──テンポというより、音そのものの“伸び縮み”がたいへん印象的でした──をもつ伴奏のほか、うずらの声をモティーフにしたシューベルトのソロ舞曲に、会場はくぎ付け。

シューベルト?そう。楽聖の心をのぞいたのは、お客さまやアーティストだけではありません。ベートーヴェンを尊敬した後輩の目線からのぞくことで、見えてくる真心もあるのではないか……というわけで、もう一人の主人公である後輩=シューベルトの歌曲は、すべてソプラノの松原みなみさんが歌ってくれました。「松原友さんとは生き別れた兄妹です」なんて冗談に会場は沸いていましたが、これも先輩&後輩のあいだ。花のような笑顔を振りまくみなみさんの澄んだ声で、ベートーヴェン以後に歌曲というジャンルがどれだけ深まったか、実感できたのではないでしょうか。

「楽聖は、ひとりにして在らず」。このコンセプトは、シリーズにあまねく染み入っています。ベートーヴェンの素顔を見に、どうぞ皆さまもホールにいらしてください。

※ジュピター219号掲載記事(2026年7月15日発行)

プロフィール

Tomohei Hori

堀 朋平

住友生命いずみホール音楽アドバイザー。国立音楽大学・九州大学ほか非常勤講師。東京大学大学院博士後期課程修了。博士(文学)。『わが友、シューベルト』(アルテスパブリッシング、2023年)で令和5年度芸術選奨文部科学大臣新人賞(評論部門)受賞。著書『〈フランツ・シューベルト〉の誕生――喪失と再生のオデュッセイ』(法政大学出版局、2016年)、共著『バッハ キーワード事典』(春秋社、2012年)、訳書ヒンリヒセン『フランツ・シューベルト』(アルテスパブリッシング、2017年)、共訳書バドゥーラ=スコダ『新版 モーツァルト――演奏法と解釈』(音楽之友社、2016年)、ボンズ『ベートーヴェン症候群』(春秋社、2022年)など。やわらかな音楽研究をこころざしている。

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