
「言葉」と「音楽」の結びつき、愛の世界を奏でるゼリンガーとのリート・デュオ〜小菅 優 いずみ室内楽シリーズ Vol.2 愛に寄せて〜
2025.05.27 インタビュー 小菅 優 池田卓夫
世界規模で活躍するピアニスト、小菅 優が2024年に大阪・住友生命いずみホールで始めた「室内楽シリーズ」。メシアンの「時の終わりのための四重奏曲」をメインとするVol.1「祈り」に続くVol.2「愛」はオーストリアのメゾ・ソプラノ歌手ミヒャエラ・ゼリンガーを迎え、ドイツ(ベートーヴェン、シューマン)&フランス(フォーレ、ドビュッシー、プーランク)の作曲家による歌曲を特集する。
室内楽で広がる表現の可能性
小菅は少女時代にドイツでデビューして以来、第1級のソリストのキャリアを歩んできたが、室内楽や歌とのデュオ(ドイツ語の「リート・デュオ」)などの「合わせ物」ではソロとは異なる輝き、色合いを発揮して興味深い。東京のサントリーホールが2011年、堤剛館長(チェリスト)の肝煎りで始めた「ブルーローズ(小ホール)の親密な空間で室内楽の楽しさを伝える企画」のチェンバーミュージック・ガーデン(CMG)でも、次第に重要なポジションを占めるに至った。
とりわけコロナ渦中の2021年6月、小菅がCMGでプロデュースした2回連続の演奏会「武満 徹『愛・希望・祈り』~戦争の歴史を振り返って」の記憶は強烈だ。第1夜(15日)はメシアン「時の終わりの四重奏曲」、同曲と同じ楽器編成で書かれた武満「カトレーンⅡ」ほか、第2夜(17日)はストラヴィンスキー「兵士の物語」、ショスタコーヴィチ「ピアノ三重奏曲第2番」などを武満の「ビトゥイーン・タイズ」「オリオン」と対比させた。ヴァイオリンのアレクサンダー・シトコヴェツキーが入国制限措置で来日をキャンセル、代役を引き受けた金川真弓は以後、CMGと小菅の室内楽の重要なメンバーになっていく。音楽評論家の山崎浩太郎氏は「日本経済新聞」夕刊(2021年7月7日付)の演奏会批評に「4人の俊英は、言葉にならぬ作曲家たちの思いを高い技術で純化し、強い集中力で聞かせた」と記した。
昨年(2024年)は「CMGプレミアム」の枠で、「小菅 優プロデュース『月に憑かれたピエロ』」が大きな反響を呼んだ。小菅のピアノをはじめとする器楽パートは3年前メシアンで共演した金川、吉田 誠(クラリネット&バス・クラリネット)にクラウディオ・ボルケス(チェロ)、ジョスラン・オブラン(フルート&ピッコロ)が加わり、ゼリンガーがストラヴィンスキー「シェイクスピアの3つの歌」、ラヴェル「マダガスカル島民の歌」のメゾ・ソプラノ独唱とシェーンベルク「月に憑かれたピエロ」のシュプレヒシュティンメ(語り歌い)を担った。
ミヒャエラ・ゼリンガーとは
ゼリンガーはオーバーエスターライヒ州の出身。地元のリンツ音楽院を経てウィーン音楽・舞台芸術大学に進み、ワルター・ベリー、ロベルト・ホルの下でリートを専攻した。さらにスイスのバーゼル音楽院でルネ・ヤーコブスのマスタークラスを受講、2003年にウィーン・ベルヴェデーレ声楽コンクール入賞した翌年、クラーゲンフルト市立歌劇場でオペラの舞台にデビューした。2005〜2010年はウィーン国立歌劇場専属歌手として「イドメネオ」のイダマンテ、「フィガロの結婚」のケルビーノ、「ばらの騎士」のオクタヴィアン、「ナクソス島のアリアドネ」の作曲家、「こうもり」のオルロフスキー、「ペレアスとメリザンド」のメリザンドなど、リリック・メゾのレパートリーを幅広くこなした。以後はミュンヘン、バルセロナ、リヨン、モスクワなどの歌劇場に出演、ザルツブルクやグラインドボーン、東京・春などの音楽祭からも頻繁に招かれている。オーケストラ演奏会でもクリスティアン・ティーレマン、フランツ・ヴェルザー=メスト、ダニエレ・ガッティらトップクラスの指揮者から指名が相次ぐ。

2024年3月7日(木) 小菅 優 いずみ室内楽シリーズ Vol.1 祈り
ドイツの音楽事務所のサイトは2024/25年シーズン、「目下の4つのリーダー・アーベント(歌曲の夕べ)プログラム案」として、①モーツァルト―ベートーヴェン―シューベルト、②ロベルト&クララ・シューマン―ブラームス、③ベルク―デュパルク―ドビュッシー、④シューベルト―マーラーを掲載。「2024年6月5日には東京のサントリーホール、小菅 優のピアノでシェーンベルクの『月に憑かれたピエロ』を歌う」と特筆しているのが目を引く。
私が「音楽の友」2024年9月号で書いたCMG当日のリポートには「前半と後半で衣装もメイクも変えたゼリンガーは英語、フランス語、ドイツ語とも明快な発音でクールに歌い分け、『ここぞ』の瞬間に圧倒的な声量と表現力を爆発させる」とある。本当のことを書けば、世界的に有名でも歌曲や宗教音楽の演奏経験が乏しく、たまに手がけても「テアーター(劇場)している」、つまり過剰な演技で濃密な「詩と音楽」の世界の本質を見えにくくしてしまう大歌手が少なくない。ゼリンガーは前半の歌曲で優美なドレスをまとってテキストと音楽の微細な絡み合いの美を解き明かし、後半は男装風のいで立ちで、シェーンベルクの表現主義を生々しく再現した。それでも節度は保たれ、聴衆も楽曲の内側へと自然に誘われていく。「ウクライナや中東の紛争でヨーロッパがますます遠くなってしまった今、東京で居ながらにして西欧音楽の真髄に触れ得た貴重な時間と空間だった」(「音楽の友」の拙稿より)

ミヒャエラ・ゼリンガー
言葉と旋律が紡ぐ世界
オペラと違ってドイツ語歌曲のリート、フランス語歌曲のメロディーとも旋律ができてから歌詞を探すよりは、歴代の有名詩人に霊感を受け作曲するケースが圧倒的に多い。1つ1つの言葉と音楽を結びつける作業をドイツ語では「vertönen(フェアテーネン)=音を与える」と呼ぶ。リート・デュオが歌曲の名作を手がける際のリハーサルにもvertönenの再現に等しい作業が求められ、言語感覚の鈍い器楽奏者にとっては、かなりハードルの高い作業となる。2000年に17歳の小菅を最初にインタヴューした時、「4歳からオペラを聴いていました」と言われ、旋律の自然な歌わせ方の根源をみた気がした。ピアノ教師の母とドイツに渡ったのは9歳だから、日本での幼少時代から人間の声やドラマへの強い関心を示していたことになる。持って生まれた歌への志向が多言語文化圏のヨーロッパでさらに磨かれ、小菅の「歌のピアニスト」としての魅力を倍化させたことはまちがいない。
ジュピター211号掲載記事(2025年3月13日発行)
プロフィール
Yu Kosuge
小菅 優
2005年カーネギーホールで、翌06年にはザルツブルク音楽祭でそれぞれリサイタル・デビュー。ドミトリエフ、デュトワ、小澤等の指揮でベルリン響等と共演。10年ザルツブルク音楽祭でポゴレリッチの代役として出演。その後も世界的な活躍を続ける。現在は様々なベートーヴェンのピアノ付き作品を徐々に取り上げる新企画「ベートーヴェン詣」に取り組み、2023年よりピアノ・ソナタに焦点をあてた”ソナタ・シリーズ”を展開する。14年に第64回芸術選奨音楽部門 文部科学大臣新人賞、17年に第48回サントリー音楽賞受賞。
プロフィール
Takuo Ikeda
池田卓夫
早稲田大学政治経済学部政治学科を1981年卒業、(株)日本経済新聞社に記者として入社。東京や広島、ドイツのフランクフルト(支局長)で経済分野を取材。「ベルリンの壁」崩壊から旧東西ドイツ統一、冷戦終結までを現地から報道。帰国後は音楽担当の編集委員を長く務めた。2018年以降は「いけたく本舗」の登録商標を掲げ、フリーランスで活動する。ホームページ
WEBサイト関連公演情報
- 小菅 優 いずみ室内楽シリーズVol.2 愛
- 2025.6/20(金)19:00 開演
【出演】
小菅 優(ピアノ)、ミヒャエラ・ゼリンガー(メゾ・ソプラノ)
【曲目】
L.v.ベートーヴェン :
「4つのアリエッタと二重唱」 op.82より 4つのアリエッタ
別れ WoO.124/アリエッタ「この暗き墓に」 WoO.133
G.フォーレ :
リディア op.4-2/漁師の歌 op.4-1/愛の夢 op.5-2/夢のあとに op.7-1/蝶と花 op.1-1
C.ドビュッシー :
「ビリティスの3つの歌」
F.プーランク
すすり泣き FP107-5 /愛の小径 FP106
R.シューマン:
歌曲集「女の愛と生涯」 op.42
【料金】
一般 ¥6,000 フレンズ ¥5,400 U-30 ¥2,000
