
音楽と、風景と、身体と「エナガとムカデ」
2024.11.30 エッセイ 堀朋平エッセイ
エナガとムカデ
お盆も彼岸も過ぎましたが、あっちの世界にまつわる話をもうちょっとだけ。
死者と生者につながりがあるというのは、よく考えてみると、とんでもなく壮大な妄想かも。今ここにないものを想像して、ときには何万人をも結束させる魔法の思考に辿り着けたからこそ、私たちホモ・サピエンスはこんなに繁栄しているのでしょう。
この妄想を発生させたのは、死者にたいする過剰な思い入れである──そんな切り口で人類のマインドを縦横に読み解いた書物が、小泉義之『弔いの哲学』(河出書房新社、1997年)。私がひそかに老師と仰ぐ哲学者です。死体を直視しない(できない)ゆえに、人はあっちとこっちにあらぬ妄想的関係を打ち立ててきた。古事記でイザナギに埋葬されたイザナミしかり、新約聖書が描くイエスしかり。これに対してソクラテスの死体を亡霊にしない弟子プラトンの書きっぷり(『パイドン』)や、戦友の死を直視した大岡昇平のいかに潔いことか──。
死の国にいざなう妄想的瞬間がひとの思考にとってこれほど決定的であるゆえに、亡き人との対話は音楽においても息をのむ表現をあまた生んできたのでしょう。「あなたは愛しすぎたあまり私を失うのですか?」(モンテヴェルディ《オルフェオ》第4幕)とか、亡き妹が亡霊となって語りだす歌曲とか(シューベルト《妹のあいさつ》D762)。オカルト的な降霊術と音楽が切っても切れない関係にあるのも、そのへんに理由がありそう。
そういえば父が他界してちょうど半年たった夏の夜、父が好きだった山荘のなかに鳥が入り込んできました。30年来ついぞなかったことです。兄が画像検索してみると、どうやらエナガであるらしい。家族のLINEを賑わせているシマエナガのスタンプに事寄せたのでしょうか。亡きパートナーとの思い出を綴った小池真理子のエッセイ集『月夜の森の梟』(朝日文庫、2024年)には、この種のエピソードがあふれています。
お盆にはこんなことも。台所にいた母の悲鳴を聞いて駆けつけると、服のなかからムカデが飛びだし、アツアツの味噌汁にみずからダイヴして即昇天! なんか頭にいるな……と感じた時から10分くらい(危害を加えることなく)モゾモゾ滞在していたもよう。なるべく可愛いものに化けてよね、とお祈りしておきました。
プロフィール
Tomohei Hori
堀 朋平
住友生命いずみホール音楽アドバイザー。国立音楽大学・九州大学ほか非常勤講師。東京大学大学院博士後期課程修了。博士(文学)。『わが友、シューベルト』(アルテスパブリッシング、2023年)で令和5年度芸術選奨文部科学大臣新人賞(評論部門)受賞。著書『〈フランツ・シューベルト〉の誕生――喪失と再生のオデュッセイ』(法政大学出版局、2016年)、共著『バッハ キーワード事典』(春秋社、2012年)、訳書ヒンリヒセン『フランツ・シューベルト』(アルテスパブリッシング、2017年)、共訳書バドゥーラ=スコダ『新版 モーツァルト――演奏法と解釈』(音楽之友社、2016年)、ボンズ『ベートーヴェン症候群』(春秋社、2022年)など。やわらかな音楽研究をこころざしている。
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