音楽と、風景と、身体と「移行する、ゆえに我あり」

音楽と、風景と、身体と「移行する、ゆえに我あり」

2026.05.22 エッセイ 堀朋平エッセイ 連載

(1)「主要主題」 ⇨ (2)「副次主題」 ⇨ (3)「移行部」。

なんだか音楽史の板書みたいですみません。何のことかというと、楽曲のなかでスポットを浴びる部分が、時代とともに変わってきたという仮説です。

(1)バッハのフーガでは、さまざまな変形に耐えうる「完全なる主要主題」が求められた。
(2)モーツァルトの魅力は、主要主題からせり出して——たとえばクラリネット五重奏曲で——歌われる副次主題にある。
(3)ロマン派では「どれが主題なのか」がはっきりしなくなって、「たえず移行している」感じが印象に残る。

なるほど。例外もあるとはいえ、啓発的な仮説といえそうです。たとえばシューマンの幻想曲(作品一七)の主題を口ずさめと言われても、ちょっと難しい。ゆっくり落ち着くことがないという意味では、目まぐるしい日常に生きる私たちもロマン派の末裔かもしれません。「移動の時間が安らぎだ」という方も多いのではないでしょうか。

このたび、当ホールによる企画「メンデルスゾーン——光のほうに」の成果で令和七年度芸術選奨文部科学大臣賞を受賞された山田和樹さんも、移動中のこだま号でゆっくり読書をするのが趣味だったそう。いまや、当時のメンデルスゾーンみたいに最高速度で世界中を飛び回るご多忙ぶりですが、それでも「途中下車して天むすおにぎりを買うのが楽しみです 」なんて昨年のプレトークで嬉しそうにおっしゃっていました。移動=移行を100%楽しむ! そのへんにマエストロの極意があるのでは?

私はといえば、このあいだ初めて、いずみホールから新大阪駅までタクシーを使ってしまいました。新幹線口の目の前に車をつけてくれるので、とても助かりました(クセになりそう)。深夜の帰宅でお世話になったタクシーの車内では話に花が咲いて、降りる頃には陽気な運転手さんの家族の一員になったような(!)すがすがしい気分に。夜景もいつもと違って見えたので、ちょっとした異世界体験です。

移動中の人間にはたぶん特有のスキが生まれていて、ふだんは味わえない風景が開かれてゆく。その魔力をそなえているのが、指揮者にせよ運転手にせよ、「移行を職業的につかさどる人」ではないでしょうか。渋滞中の高速道路を進むタクシー、車内ステレオから流れてくるヤナーチェクを聴いていたら、いつのまにか異世界に…そんな物語もありました。けっこう好きな小説です。

※ジュピター218号掲載記事(2026年5月14日発行)

プロフィール

Tomohei Hori

堀 朋平

住友生命いずみホール音楽アドバイザー。国立音楽大学・九州大学ほか非常勤講師。東京大学大学院博士後期課程修了。博士(文学)。『わが友、シューベルト』(アルテスパブリッシング、2023年)で令和5年度芸術選奨文部科学大臣新人賞(評論部門)受賞。著書『〈フランツ・シューベルト〉の誕生――喪失と再生のオデュッセイ』(法政大学出版局、2016年)、共著『バッハ キーワード事典』(春秋社、2012年)、訳書ヒンリヒセン『フランツ・シューベルト』(アルテスパブリッシング、2017年)、共訳書バドゥーラ=スコダ『新版 モーツァルト――演奏法と解釈』(音楽之友社、2016年)、ボンズ『ベートーヴェン症候群』(春秋社、2022年)など。やわらかな音楽研究をこころざしている。

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