「Jupiter」に掲載されたインタビューを本ページ用に編集し、お届けするコーナー。
本誌ではカットされた部分も公開しますので、お楽しみに。
独自取材企画が登場することもあります。
演奏会が100倍面白くなる旬の情報は、ぜひここで。

 

今回は「Jupiter」130号の特集と連動し、リスト〜時代を拓くピアノシリーズvol.5で登場するピアニスト、ヴァレリー・アファナシエフのインタビューを掲載します。これは、本誌掲載原稿では割愛した部分も全部掲載する「完全版」です。東日本大震災の直後に来日したときの彼の生の言葉にご注目ください。取材・執筆は音楽ジャーナリストの寺西肇さんです。

なお、当「アーティストラウンジ」コーナーは、11月1日からのホームページリニューアルにあわせて連載終了いたします。長らくのご愛読をありがとうございました。今後は動画インタビューの充実、各主催公演情報欄での「Jupiter」連動掲載などで、引き続き演奏家の声をお届けする予定です。

ヴァレリー・アファナシエフ


ただ、音楽が
    語りかけてくるのを待つ


ピアニスト
 ヴァレリー・アファナシエフ
              語る




取材・文 寺西 肇

  ヴァレリー・アファナシエフほど、ユニークなピアニストはいない。修行僧のように真摯な姿勢と、運動選手のようにしなやかな感性で楽曲をダイレクトに捉え、まるで祈りのような響きの世界を構築。演奏や作曲にとどまらず、小説や詩の世界でも瑞々しい言葉を迸らせている。そんなアファナシエフが11月、「リスト〜時代を拓くピアノ」シリーズの5回目のステージで、リストを核として、有機的な関連性を持った他作曲家の作品を配したプログラムを披露する。大災害を前にした芸術の在り方や、作曲家リストへの思いなど、鬼才の言葉に耳を傾けてみよう。

悲劇を前に音楽は…                                
  《このインタビューを行ったのは、東日本大震災の発生から1カ月も経たない今年4月9日。キャンセルしたブルガリア人若手ピアニストの代役(!)として、ギドン・クレーメル・トリオの一員として急きょ来日、大阪で行われたステージの直前のことだった》
  ――東日本大震災に起因する原発事故などもあり、フランスでは渡航自粛勧告も出ていると言うことですが…。この時期に日本に来られることについては、ご自身の強い思いがあったと思いますが。
  アファナシエフ(以下A)  ええ。日本に来ることは、私自身が決断しました。いま、この時期にこの国で演奏すること自体が、とても大事なことに思えたからです。実際には、サルコジ大統領自身も来日していることですし、そんなに強い自粛勧告は出ていないんですよ。今朝読んだ新聞によると、小さなアンサンブルが来日してパフォーマンスをしていますし、野球チームも試合をすることを決めたようですね。こういった時期だからこそ、エンターテインメントを通じて人々を勇気づけ、これから頑張ってゆこうと言う気持ちになってもらうことが大切だと考えました。
  ――私事で恐縮ですが、16年前に神戸で大地震に遭い、大勢の人の死を目の当たりにした私は、「音楽には人の命を救うことすらできない」と絶望し、忌避すらしてしまった時期がありました。いま再び悲劇を前にして、遠ざけることはないにせよ、やはり同様の無力感に捉われました。そんな時に、このインタビューの話があったため、あなたの録音に向かい合った時、心に浮かびあがったのは「祈り」という言葉。私は今の今まで「音楽は聴き手がいなければ成立しない」と考えていたのですが、あなたの音楽は、聴き手の有無にかかわらず、意義をもってそこに存在している、と強く感じました。
  A ステージに臨んだ時、私はとにかく演奏に集中して、聴衆のことを考えている余裕すらなくなってしまうんです。集中すると言うことはとても大事なことです。例えば録音の場合だと、途中で音楽を止めたり、何かを食べたりして集中を途切れさせてしまうことはよくありますよね。でも、コンサートホールでは、聴衆を含めて大きな意味でのネットワークを創りつつも、自分自身はひたすら集中して、演奏に臨まなければならない。そういうことからすると、ステージでのパフォーマンスは私にとって、一種の「儀式」なのかもしれませんね。
  ――11月のステージでは、「葬送」や「死」を意識した構成になっていますね。震災との関連性を強く感じますが…
  A 今回の悲劇が起きた時点で、既にプログラムは決まっていました。つまり、たまたま「死」や「葬送」をテーマとしたわけですが、まさか、このような大惨事が起こるとは、想像もしていませんでした。少し哲学的になってしまうかもしれませんが、人間の、例えば第六感のような感性の中でも、過去と現在は必ずつながっているんですね。このプログラミングも、そういったハーモニー(調和)の中にあったのだと今になって感じています。

リストは人生を反映                                
  ――プログラム全体としては、リストの過去と現在、そして未来が交錯したような巧みな構成になっていますね。
  A (大きくうなずいて)そうです。リストの作品を核に据えて、関連する他の作曲家の小品を並べてゆく構成は、自分でもたいへん気に入っています。
  リストの作品は、彼が歩んだ人生のステージごと、つまり、人生が反映されるような形で理解されることが大事だと思います。若い頃は、本当に美しい曲を作っています。それは青年期、あるいは老年期にあっても、そうだったと言えるかも知れません。ベートーヴェンだってそうでした。しかし、ある人生の局面には、醜い面を押し出している作品も存在しますね。そう言った部分も見せてゆきたい。もちろん、透明性のような部分も表現したい。それが今回の選曲で最も重視した点です。
  年齢を重ねてゆくと、若い頃の嗜好とは真逆のものに夢中になる時期が出て来る人もいます。そこまでゆかなくても、かつてはプレーボーイだったリストも、中年になると、どんどんリチュアル(儀式的、厳粛)なものに向かってゆく。他にはないほど、自己の中で変遷を続けている人物だと思うんです。哲学や考え方も変わってゆく。ちょうどアインシュタインが、そうであったように。
  ――その到達点として、「死」を意識したプログラムにつながるのですね
  A リストが晩年になると、実際の死に直接関係した作品も多くなってきます。例えば「悲しみのゴンドラ」も、ワーグナーの死に触発されて、書かれました。実際にリストが窓からワーグナーの葬列を眺めて書いたもので、全部で3曲あります。この曲をはじめとして、その時にリストが感じた気持ちやムードを出してゆく作品を選んでいます。
  ――特に最後に演奏される2曲は、楽想の上でも表裏一体の感じがするのですが…
  A ワーグナーは行進ですが、儀式的な礼拝に向かう動き、つまり信仰を表現している。リストもまた、死だけではなく、その向こうにある何か、つまり「ヒア・アフター(死後の世界)」を暗示しているので、やはりどことなく希望を感じさせます。
  ――ステージ冒頭でベートーヴェンの「バガテル」をお弾きになりますが、他の作品に比べて、歴史的な関連も見当たらないし、この意図だけが分からなかった。ただ、ベートーヴェンの作品の中でも、特に喜怒哀楽の感情を意識させる作品のように思えます。つまり、後半の「死」に対して、「生」を象徴させたのか、と勝手に想像したのですが…
  A その通りです。ベートーヴェンの晩年は、大きな作品ではなく、むしろ小品に力を注ぐようになります。そこに強く感じられるのは、ずばり「光」ですね。

ヴァレリー・アファナシエフ

音楽と言葉の関係                                 
  《アファナシエフ氏は演奏の傍ら、詩や小説などの執筆活動も行っている。また、時には自らの演奏に演劇を組み合わせた前衛的なステージ活動も行う》
  ――音楽というジャンルの中でも、例えばオペラやリートなど、言葉とは密接な関係がある訳ですが、あなたの言葉との関わり方はちょっと関わり方が異なりますね。ご自身の中では、言葉と音楽の関係を、どう捉えていらっしゃいますか
  A ひとつの大きな前提として、私は常々「オーガニカリー(有機的)に生きてゆきたい」と思っています。私にとって、ピアノを弾くことはもちろん大事なこと。しかし、自分が詩を書きたいと思ったら書きたいし、また演奏したくなった時に、演奏したいんです。もちろんスケジュールというものがあって、コンサート予定が決まっているならば、当然ながら練習していかなきゃならない訳ですが…(笑)。ひとつの自然な流れの中で、私は「時間を聴いてゆきたい」。そこから何が起こって来るのかを待った上で、きっちりと 見極めてゆきたいと考えているんです。音楽と言葉の間には、もちろん関連性はあります。実際に、その理由を見つけようとする人も大勢います。でも、私はそれを複雑に考えるのではなく、自分がオーガニカリーに生きていることの発露の結果だと思っています。
  ――母国語であるロシア語のほか、フランス語、英語による執筆もされますが、ご自身は複数の言語による表現をどう考えているのでしょうか
  A 小説やエッセーは、基本的に英語で書きます。しかし、この20カ月ほどはロシア語で、私のこれまでの経験を書いているところです。様々な言語を用いることは、物理的に遠くで起きていることを公正にジャッジできる、ひとつの手段だと考えています。私の夢の中では、ロシア人の友人がフランス語や英語をしゃべったり、逆にフランス人の友人がロシア語を巧みに操ったりと、密接なコミュニケーションがとれている(笑)。これがきっと、自分にとっての理想なんでしょうね。

音楽に不可欠な“間”                               
  ――「間(ま)」に代表される日本古来の考えや価値観に深い共感を見せ、実際に鍵盤と対峙されるあなたの姿を目の当たりにするたび、私たちにも強くその言葉が印象付けられる気がします。さらに、ロシア人であるあなたの方が、むしろ日本人である我々よりも、この観念を深く理解されているのでは、との思いに捉われます。
  A 音楽に集中する時、何よりも「間」というものに集中しなければなりません。物理的なこともありますが、ステージに上がり、いったん音楽が始まると、中断はできない。かたや、例えば詩を朗読する場合、自分で読みなおし、場合によっては、中断することだってできる。決められた時間的な枠組みの中で、音楽を演奏する時には、自分で時間を制御する必要があるのです。それはもちろん、時間の流れに沿って行うのですが、流れ自体は止められないし、干渉することはできない。あくまで時間の流れの中で、制御してゆく訳です。そのためにも、「間」という考え方は、すごく重要になってきます。
  ――常に静寂を意識することですね。たとえ音が存在している時であっても…
  A そう。ただ音で埋め尽くすことを、私は常に嫌っています。音楽にとって、「沈黙」ということが、いかに大切なことか。例えばシューベルトのソナタでも、やはり音の洪水であるかのように、ただアクティヴに弾いてしまう若いピアニストもいます。でも、それでは特に緩徐楽章でのテンポが見えなくなってしまう。ここでは、シューベルトと言う作曲家の人間性や、音楽自体の流れを理解しようとするべきなんです。ピアノの演奏でも、指揮でもそうですが、自分でことさらに「こう弾こう」「こう表現しよう」、あるいはもっと「聴衆の心を掴んでやるぞ」なんてことまで考えてしまうと絶対に駄目なんです。ただ音楽が語りかけて来るのを待っていて、それに耳を傾けるだけでいいんですよ。
  ――近年の日本では、街中に出ると、音が洪水のように押し寄せ、うるさ過ぎると思うこともありますが…
  A 心の中にある音か、それとも外から入って来る音か、という違いはあるにせよ、このことは私にはそれほど気にならないんですよ。それよりも、上手でないパフォーマンスの方が、よほど気に障ります(笑)。聴衆の側にも、問題があります。有名なアーティストと言うだけで感謝し、満足してしまう。すると、演奏する側も、自分で世界を支配したように思いこんでしまう。そうではなく、音楽を聴く側も、何か要求をすべきだと思うんです。「良くない」と感じたら、ホールを出てしまってもいいし、トマトを投げてもいい(笑)と思うんですよ。有名だから、若いから、可愛いから、という理由で「リストをうまく弾いているね」などと誉めてはいけません。もっと批判的な姿勢を持つべきです。「音楽」をもっと尊敬しなくてはなりません。
  ――私も10年ほど前、それとまったく同じ趣旨の『たまにはブーイングを』という原稿を書いて、ひんしゅくを買ったことがあります
  A 本当? そりゃ、実にいい(笑)。聴衆もただ座って、行儀良く音楽を聴いているだけではなく、“参加”をするべきです。気に入らないことがあれば、アーティストに反論するくらいのことがあっていい。これは決して、自分の同僚である売れっ子のアーティストに嫉妬して言っているのではありません。聴衆は、ステージに立っているアーティストが有名か否かではなく、ただ音楽のことを第一に考えねばならないのです。しかし、残念ながら、聴き手の側も質が落ちてきていると言わざるを得ない。ただ「有名な指揮者がベートーヴェンの交響曲を振った」というだけで、「名演だった」と評価してしまうような態度を改めねばなりません。

ヴァレリー・アファナシエフ

自分にとって音楽とは                               
  ――バロックから現代まで、レパートリーはとても広くていらっしゃいますね。演奏する作品は、どのように選択されるのですか
  A これも、「オーガニカリーに生きる」ということと密接に関係しています。作品と自分の間に親近感が生まれると、自分の心の中で“何か”がどんどん大きくなってゆく。ここに耳を傾けるのが、自分の「演奏する」ためのきっかけです。これと別の理由から「弾く必要があるから弾く」ということは、私にはあり得ない。例えばベートーヴェンの、あるいはモーツァルトのソナタだけをただずっと弾き続ける、なんてことは、自分には到底できません。そんなこと、おそらくスーパーマンにしか、できないと思っていますよ。もっと言えば、スクリャービンがそうですが、私には心が拒否してしまう作品だって存在します。ステージ・マネジメント上での打算や依頼なんて、私には関係ありません。ただ、自分が弾きたいものを弾いてゆきたいんです。
  ――非常に抽象的な質問ですが、あなたにとっての「音楽」とは、そして「ピアノ」とは何でしょう
  A ピアノとは、自分自身の体の一部であり、表現する手段です。他の楽器では、残念ながら、自分の感じた音楽を思うように表現できません。そして、音楽…音楽のない生活は、考えられません。例えバックグラウンド・ミュージックであっても、自分の考えをまとめたり、心を豊かにしたりする上で、音楽は重要です。誰も音楽から逃れることはできないのです(笑)。
  ――これからの目標や夢とは、どのようなことでしょうか
  A 東日本大震災が起こってから、私は毎日、売店に新聞を買いにゆき、関連の記事を読みふけっています。その中に、とても感動した一文がありました。津波の発生直後から、行方不明者の捜索をしている男性に対してインタビュアーが「大変ですね。なぜ、そんなことをしているのですか」と尋ねた時、男性はただ一言「続けなければ(=go on)ならないから」と答えたのです。私には、この「go on」という言葉が、とても心に響きました。私にとっての演奏活動も、その言葉に象徴されるかもしれない。何か特定のプロジェクトに取り組むと言ったことではなく、人生や時間が、私に「やりなさい」ということをただ「やり続けて」ゆく以外にはないのだと思っています。